2018/05/21
5/20 リズと青い鳥
全てのアニメーション作品(ひいては創作全般)は「ロジカル」と「リリカル」に大別できることが出来ると思う。
ここで言う「ロジカル」というのは、小難しい論理が展開される作品ではなく
「俺たちには平和を愛する心があるから、悪に屈したりはしない!」
(平和を愛する心があるので主人公が悪に勝利するという理屈が視聴者に提示される)
とかいうやつのことです。実際にこんな台詞を言う作品など存在しない。
じゃあ「リリカル」な作品ってどういうものなんだ?
というのはこの傑作映像、リズと青い鳥を見れば全部分かるから今すぐ映画館に行って券売機でチケット買って見ろ
リズと青い鳥において学校以外のシーンは徹底的に排除される。自室でくつろぐシーンもなければ、家族との会話もない。学校の外の世界が描かれることもない。
リズと青い鳥では徹底的に対比が用いられる。飛べないリズと飛んだ青い鳥の対比。人と上手くやる能力は低いが才能を持ち誰かのために一途に音楽を続けられる鎧塚みぞれと多数の人間と仲良く出来るが才能がなく自分を好いてくれた友達に対して誠実に振る舞ってやれない傘木希美。
全ては登校で始まり、下校で終わるという物語の始まりと終着での対比のためだ。
このように閉塞した現実世界では
レズの
感情の
暴力が
慎み深く
描れる!
徹底的に描かれる。執拗に描かれる。
反面リズと青い鳥という絵本の空想パートでは上手く感情を伝えない彼女たちの代わりにアクションで心情を教えてくれる。
鎧塚みぞれは感情を人に伝えるのが苦手だし、傘木希美はみんなと仲良くしながらもどこかで壁を作ってる。傲慢なんですね。自分を持ってる者だと思ってる。
傘木希美は鎧塚みぞれを下に見ていた。 自分が手を差し伸べなければみぞれは音楽を始めることはなかったし、自分以外に友達はいないと思ってる(それは真実だが)
だからリズと青い鳥を見て「戻ってくれば良いじゃん」なんて言ってしまえる。
自分は青い鳥でどこにでも行けるけど、リズはあの家にずっといる。そこで待ってくれてると思ってる。
でも鎧塚みぞれはみぞれなりに友達を作ることが出来たし(出来てしまったし)、鎧塚の持つ才能を他者の評価として、演奏者として間近で知ってしまった。
鎧塚みぞれには自分は絶対に届かないと自覚してしまった。
そこで発生する女の感情が!!!!!!
女の感情がああああああああああああああああああ!!!!!!!!!
彼女たちは結末でも解決すること(互いの心情に決着をつけること)をしなかった。それをしてしまうと、今の関係ではいられなくなるからだ。2人が仲良くあることと、同じ舞台で音楽を続けることは絶対に共存できない。
だから彼女たちはリズと青い鳥のように別々の道を歩む。別れるためではなく、共に居るために。関係性を壊さないために……。
joint
ア
で、ここからは僕の大好きな製作者の話をしていいですか? いいですね?
リズと青い鳥の監督は山田尚子監督。今や押しも押されもせぬ大監督であらせられるお方です。
監督と全絵コンテと演出とEDの作詞を兼ねていることから、この人でなければ絶対にこのリズ青い鳥という映画はここまで叙情的な映画にはならなかったでしょう。
で、リズと青い鳥はTV版「響け! ユーフォニアム」の続編なんですが(舞台が同じで響け! のキャラクターも出てきますが見てなくても十分楽しむことが出来るので響け! を見てなくても今すぐ映画館に直行することをオススメする)
こっちは石原立也氏が監督なんですね。というよりアニメ響け!シリーズ自体が石原立也監督の指揮によって製作されたものです。つまり山田尚子監督は石原立也の代打としてリズの製作を担ったわけです。(山田尚子監督は響け!のシリーズ演出を努めているので、今回は響け!シリーズの要点だったレズ要素を押していこうということだと思う)
で、石原立也という人はやっぱりエンターテイメントの人なんですね。盛り上げるべきところではガァーっとやってボォーーン! 泣かせたいところではテラテラペーン! 笑わせたいところではバァーーン!! ってやる。エンターテイメントとして面白いことを重視する人だと思う。ナンセンスな言い方をすれば男性的。
だからTV版「響け!」では簡素に描かれた演奏シーンを濃密にし、アニメとしての納得力を高めていった。これはアニメ監督として本当に素晴らしい仕事だし、石原立也という人はどんな作品にも誠実に向き合った上でそれをやるから素材の良さを殺す「クドさ」とか「品のなさ」みたいなものを感じることがほとんどないんですね。
一方山田尚子という人は感情重視。石原監督がエンターテイメント(物語)の人ならこちらはキャラクター(人間)の人と言ってもいいかもしれない。キャラクターの感情や心情に接近して、それらをどうやったらキメ細やかに描けるのかを真摯に考えてる人。
こちらもナンセンスな言い方をすれば女性的な作風ということになると思う。女子だし当然っちゃあ当然である。
だから石原立也監督と山田尚子監督は同じ職場で働いて、同じ作品で仕事をしているけど監督としてかなり対照的なんですよね。百合か?
どちらが良いというわけではなく適材適所。
(これは山田尚子監督には失礼な言い方だが)TV版の監督は石原立也監督でなければ響け! シリーズは映画化まで行けなかっただろうし、逆にリズと青い鳥の映画は山田尚子監督でなければこの素晴らしい映像にはならなかった。
オタク界隈では1つのコンテンツは1つの監督が制作するべきで、監督が変わることは持ち味が消えることというのが定説で、まあ結構事実なんだけども。
1つのコンテンツを複数の人間がその作家性を用いて解像しようとする試みは本当に良いことしかないと思う。
僕は細田守が好きじゃないんだけど(むしろ嫌い)、ずっと「細田守のごちうさOVAが見たい」と言っていて、細田守が日常系作品のOVAを作ったら絶対とんでもないものを作ってくれると信じてる。
TV版と全然違うことをやるから監督を(適任者に)変える。
この判断を下した京都アニメーションは本当にすごいと思うし、こういうのはドンドン他の制作会社も取り入れて欲しい。
実際問題としてアニメ界において続編で監督が変わるっていうのは監督と製作委員会が揉めたとか、売れっ子監督のスケジュールが取れなかったから総監督扱いで若手の監督を置くとか、そういうクソみたいなアレコレのせいでネガティブなイメージしか持たれていないのが現状だが。
誠実に作品のことを考えた結果、この監督の方がいいと判断して制作体制を再構築する。こういう作り方をしてくれた作品は本当に幸せだと思う。
リズと青い鳥は作品と向き合い、石原立也氏が演出に回って監督の山田尚子を支えたからこのような素晴らしい作品になった。
やっぱり百合か?