2014/04/26

ランス9感想

ランス9ヘルマン革命 正史ルートクリアしました。
笑いころげたし泣きまくったしラスボス戦は最高に熱くなったんですが、まあプレイしてる最中に「あっ、これは評価割れるな」と思ったし実際世間もそんな感 じの評価なんですが僕は典型的なランス信者で、ランスの物語は感情論だけで絶賛するのでそこらへんよろしくお願いします。

あ、だから全力でネタバレします。





ランス9ぶっちゃけ期待してなかったんですよ。多分戦闘はダレるんじゃないかな~~~ってずっと思ってましたし実際相当ダレた。
戦力性もクソもない。キャラ突っ込ませて適当に必殺技ぶちまけるだけ。
肝心の浮遊要塞戦闘もほとんど使わないし独自性も拡張性も一切ないです。
ゲーム要素については完全な回帰ですねこれは。元より誰も戦国マグナムレベルの戦闘は期待してないでしょ。
期待した方はじゃけん次回作に貢ぎましょうね~。

練度の高いシュミレーションRPGなんて現代で作るのは不可能なんですよね。
ここらへんランス9のレビューで書いてしまうのはどうかと思ったけど、必要なことだとも思ったので後ろに書いてます。

とにかく戦闘に鬼畜王戦国クラスの緻密で爽快で明瞭なものを期待して文句言う人は相当いると思います。
まあこれに関してはね、シュミレーションRPGなんていうジャンルにしたアリスソフトが全部悪いわけですよ。
名作と謳われてるママトトですら戦闘はざっくばらんな仕上がりだったわけだし
その意匠を受けつぐ形で作ったらそりゃこうなる。
あと下手に戦略性があるかのように宣伝したのも悪い。
戦略性、ないでしょ。戦術性はあるけど戦略性は皆無です。だいたい運。
強いアイテムが手に入るかどうかは運だし、手に入ったとしても戦場で機能してくれるかどうかも運だし(攻撃力うp系は安定して強いけど)
イベント戦闘も出撃必須キャラを育てる必要はなくて、ただ運で回避、受け流ししてくれるのを待つだけだし
武器の強化が成功するかどうかも運。挑発が決まるかどうかもアイテムつけなきゃ運。
大規模戦闘はどれだけ回避受け流しが発生するかだし、敵のねばりが発生するかどうかも運。
勝てなかったー、ぐわー、もう一回だー! ってチャレンジすれば何の対策もしなかったけど勝てちゃった。
なんてザラにあります。

戦国ランス最高難易度のことを一部の人は「暗殺ゲー」だとか「運ゲー」などと呼びますが(別に戦国ランスは暗殺ゲーじゃないけどね。暗殺に頼らなくても☆5正史42ターンでクリアできる。もっと手裏剣使え手裏剣)
今作、ランス9は素で運ゲーをいってしまってるわけです。
ランス5Dなんかは最初から「このゲームは運ゲーです!」と言い張ってたわけなんですが
ランス9は拡張要素、戦略要素があるように見せかけておいてその実大半が運です。
これが批判される最大の要因になってると思う。
だから戦闘に戦略性はありません。
それこそランス3.4の戦闘を思い出していただきたい。
あんな感じのSRPG戦闘だと思えばいいんです。
決して戦略性、自由性に富んだシュミレーションRPGなどではないです。
3.6.9と流れを見ていけば今作がただのRPGだということがわかります。

だから僕は戦闘に一切期待してなかったし実際その通りになったので
戦闘という要素を省いてランス9感想書きます。




ランス9ヘルマン革命という作品、一言で言ってしまえば「英雄譚」であるし、ざっくり切ってしまえば「壮大な身内ネタ」
英雄譚の方から書いていきましょうか。
「ランス」という作品自体典型的な犯罪者のすごい強い主人公がファンタジー世界でエロエロしまくるという典型的な感情移入型エロゲーであり、主人公=ランスという構図になっているんですが、今作ではド正面からそれをぶち破ってきましたね。
勿論このランス=プレイヤー という構図、ちょっとでもランスシリーズを遊んだ人ならすぐに否定します。僕だって否定する。
ランスシリーズはランスという極悪な主人公を笑って、時には感情移入にして共に盛り上がる作品だと。つまりランスとはキャラクターであり、ランスに自分を投影するなんてことはありえないと。
けど、暗にその構図はありました。それは選択肢や行動コマンドです。
そう、ランスシリーズにおいてプレイヤーは選択肢を選ぶことでランスにヒロインを犯させたり、何もせず逃したり。
世界を救う王様になったり、逆に世界を滅ぼす魔王にならせたりしていたわけです。
つまりプレイヤーがランスを操作していた。まあゲームだから当然ですわな。
これは行動コマンドにおいても同義です。プレイヤーは北の国か南の国どちらを先にランスに攻めさせるか決定することができた。
2や3などの一本道のRPGでさえ自分で行動を選んでランスを操作することができた。つまりランス=プレイヤーの図は確かに残されていたわけです。

今作、ランス9はそれを徹底的に破壊する。
そもそもランス9には選択肢なんて1つも存在しないんです。だからプレイヤーは何も決められない。
戦闘をどう戦おうと結末には影響しない。
プレイヤーがシナリオを決定できる要素といえばバッドエンドの陵辱ルートと、どのヒロインとHするかの猿玉振りぐらい。
だから本編ではあますところなくランスの活躍が描かれる、全ての行動をランスたちが決めて、プレイヤーはちょこっと運ゲーの戦闘を操作して革命を成し遂げる。
そこにプレイヤーの意図が介在する余地はない。プレイヤーはどのキャラとHしてどのルートに行くか、誰のバッドエンドを見るか。そういう形でしか物語に介入できない。
これを英雄譚と呼ばずしてなんと呼びましょうか。我々エロゲープレイヤーは物語の決定権を剥奪され、全てはランスに委ねられた。プレイヤーはエッチの方向性だけ示していればいい。
ここにランス=プレイヤーの図式は崩壊しました。ランスはプレイヤーの制御を離れ、好き勝手に物語を進めていく。
ランスを操作する唯一のシステムだった選択肢はもう存在しないのだから。
この選択肢を登場させない。という形式はまさしく今までのランスシリーズ全てに対しての革命といえるでしょう(こういうこと言っておいてなんですが次回作あたりは普通に選択肢復活してると思います)


この作品を語る際に「ママトト」という作品の把握は欠かせない。
別にプレイしてなくても楽しむことはできるけど語るのには本当に欠かせない。
ゲームシステムからシナリオ、キャラクター(厳密に言えばアリスソフトお家芸のスターシステムなのだが)から最終戦の構図、BGMまで随所にママトトの血が混じってるのがランス9なのだ。
だからママトトユーザーの僕なんかは最終戦のBGMで「ウッヒョー!!」となるし
そうでない人は特にBGMを気にせずEDを迎えるんですよね。別にこれは今作に限ったことじゃない。
ランスクエストなんて5Dへのオマージュが随所に含まれていたわけだし。

ただ今回は特に過去作ネタ、ママトトネタが多いんですよね。
だから人は言うでしょう。
「アリスソフトは新規ユーザーのことを考えない老害だ」
「ちゃんと新規ユーザーにも把握しやすい設定やシナリオのゲームを作れ。パットンの放埒時代なんかしらねーよ」
そのとおりですそのとおりです。ゲーム中にも解説やヘルプは登場するけど、それでは十分といえない。
闘神や聖魔教団の説明はどう聞いたって不足だし
パットンの成長なんて過去作をやってないと実感することはできないでしょう。
そもそもパットン自体最近のメインシリーズだと6にしか出てこないし
戦国から入った人なんて「パットン? 誰それ?」状態でしょう。

だからこれから何度も言いますが、ランス9は内輪ネタだらけの作品です。
ランス過去作やママトトをプレイした否かで没入度は大きく変わるでしょう。
例えば僕なんかはヒューバートが奥さんの墓壊されて怒り狂うシーンでボロボロに泣くんだけど
鬼畜王やってない人は素通りするだろうし、シーンの意図もぶっちゃけ鬼畜王やってないとわかりづらい。
要するに欠陥品なんですよ。ゲームとして。内輪ネタでしか盛り上がれないゲームなんて
欠陥以外のなにものでもないでしょう。
その批判はあってしかるべきだと思います。

でも、それでいいんですよ。内輪ネタでいいんですよ。それこそがランスシリーズが目指すべき道だとアリスソフトはランス9で鮮烈に示しました。
内輪ネタでも、笑って、泣けて、叫べて、熱くなる。そんなゲームこそがこれからのランスだと
アリスソフトは示したわけです。
だからこれらの内輪ネタオンパレードも全て意図的なものでしょう。

(TADAさんがサボらなければ)もうシリーズも長くない中、ランスはこれで突き抜けますよ。
ついてこれる奴だけついてこい。最高に熱くさせてやる。
ついてこれねぇ奴は無料で配布してる過去作やって勉強してこい。
そのうちランス03も出すからよ、リーザス軍人との馴れ初めやパットンの放埒時代が知りたい人は買ってね♡。ということでしょう。
だからパットンの放埒時代がまるで描かれないのも、リーザス武将たちがどういう人なのか説明がないのも
全てはランス03を買わせるためだったんだよ!!!!

話がそれた。要するにランス9は「これからのランスはこうでいきますよ」というお触れなわけです。
おそらくランス10も内輪ネタを大量に詰め込んだ、旧来からのファンでも把握しきれないような
設定の変化や新しいキャラが大量にでる作品になるでしょう。
けどね、それでいいんです! ランスはこうなんです!
分からない奴は容赦なくおいていってやる! と
ランス9とは、そのメッセージなんです。

ゲームとしてはおよそ不完全な運ゲーでしょう。シナリオは過去作を十分に遊んでないと把握しきれないような欠陥品でしょう。
しかしそれは欠陥品であっても、旧来のからのファン全力で楽しませてくれるものです。これは断言できる。
ランス初期、鬼畜王から続くファンの期待に全力で答えた作品。
それがランス9であり、それに対して「新規にはシナリオが分かりにくい」「運ゲーすぎる戦闘」などと言ってケチをつけてしまうのは不粋というものでしょう。
(いや勿論そういう批判はあってしかるべきですが)

ランス9とは、アリスソフトがファンへ全力で贈る18年越しのアンサーです。
それを大事に、確かに噛みしめて、僕は高らかに叫ぼう。
アリスソフトに信頼と感謝を込めて――


「あてなちゃんユニットで使わせろや!!!!!!!!!」



しょうもないことしか書いてないんで真面目にランス9語ります。
シナリオはすごい良かった。前述の通り内輪ネタだらけで進むシナリオですが、それなのに新規ユーザーでも楽しめる形に落としこんだのは素晴らしいの一言。まあ安っぽいんですけどね。安っぽいんですよ。だから良い。
音楽はshadeさんが参加しないということで不安があったんですが、杞憂に終わりましたね。
本当に気合が入ってる素晴らしいBGM揃いだった。
ここにshadeさんが加わっていれば……!
と思うこともないですが、とにかくBGMは名曲揃いです。
最終戦にRunning to the straightのアレンジとか熱いに決まってる。

絵は頭身戻りましたね。僕はあの頭身が好きでした(半ギレ)
まあCGは素晴らしい仕上がりだと思います。あてなちゃんのミニキャラ可愛すぎ。

エロシステム、全部飛ばしてるから1つも見てない。
かなみちゃんのデレは本当に心臓がバックバクした。
腕くんでデートする写真誰が撮ったんだ。
あのCGが販売特典で良かった。

戦闘はまあ上でボロクソに言ってますけどそこまで悪いわけじゃないです。
楽しいよ。楽しいんだよ。
ただ、過度な期待はするなよってだけです。
パットンの必殺技が武舞乱舞じゃないのずっとムカついてたんですが
最終戦でああもやってくれると全部許しますわな。

僕は最終戦、当然ランスにトドメさそうとしたんですよ。
ランスシリーズユーザーなら分かると思いますが
ラスボスをランスのランスアタックで倒すのはお約束であり、これをやらないと落ち着かないんですよ。
多分皆さんもそうだと思う。
だから僕はランスでトドメをさした。すると盾が復活する。おいおい、また倒さなくちゃいけないのかよ。
パットンが話す。俺にトドメをさせてくれ。と。
ありえんでしょう。ラスボスにトドメをさせるのはランスの役目であって、パットンがやっていいことじゃない。いやだいやだ、ランスでトドメがいい~みたいなことを僕は思うわけですが、そこでランスが叫ぶんですよ。
行け! パットン! って。
じゃあ僕もPCの前で叫ぶしかないじゃないですか。
お前が決めろ! 革命者パットン! って(最高にキモい)

このね、主人公は絶対にランスなんだけど最後にパットンがケリをつけるっていう持っていきかたですよ。
パットンがやらないといけない。よし、じゃあお前がやってこい! とプレイヤーに考えさせるに至るまでのパットンを魅力的なキャラとして描ききった。
僕みたいな「ラスボスは絶対にランスのランスアタックで倒したい!」みたいなこと考える信者ですら、最後はパットンに託せると考えたんですよ。
パットンにならこの国の未来を託せると(キモい)
結局主人公はランスじゃなくてパットンなのだったと思います。だからランスの行動を決める選択肢がなかった。何故なら、主人公はパットンなのだったのだから。











ランスとあんまり関係ないです。シュミレーションRPGについて。

……真面目な話今の時代シュミレーションRPGを作るというのは本当に難しいことだと思う。
おそらくみんなが(僕が)望んでいるのはSFCファイアーエムブレムやタクティクスオウガのような緻密な戦略性、キャラ性、自由性に富んだゲームなんだろうけど、今の時代それをやるのは無理なのだ。
すごい必殺技やCGドバドバー! とやらないと絵面が地味だから宣伝もしにくいし、売れない。そもそもチマチマ相手の移動距離と射程を計算して1マスづつ兵を並べていくようなゲームは今の時代誰も遊んではくれないだろう。
最近の若者は(自分も若者だけど)時間があったらソシャゲ、SNSの時代なのだ。コンシューマ、PCゲームなんてパッと遊んで面白さが伝わらなかったらすぐ投げ出してしまう。
だからこそ大味な範囲攻撃ドカーン、必殺技バシューンなシュミレーションRPGが乱造される。その方がインスタントに面白いから。某エムブレム新作もそのような出来だった。
しかし戦闘バランスを大味にするということはシュミレーションRPGが元来持っていた
「自分で戦略を考え、キャラを動かし、自分が育てたキャラが成長していく様に感情移入する」
という楽しみを奪うということに他ならないのだ。もう本当にシュミレーションRPGというジャンルは終わりを迎えているのではないだろうかとさえ思う。
確かに派手な技を使って魅力的なキャラクターが敵をなぎ倒していくさまは心地がいいだろう。私は無双系のジャンルも好きだから否定はしない。
しかしそれによって、SRPG特有の戦略を育成方針を決めて、そのとおりにいった時のあのとびっきりの快感、失敗した時の悔しさ、育て上げたキャラが活躍していく嬉しさが失われているのも確かなのだ。
シュミレーションRPGゲーマーはそれらの要素を心底敬愛しているものなのに。

もはやほぼ全てのシュミレーションRPGは大味な魔法、必殺技戦争となってしまった。全ての元凶はそう、SNSやソシャゲの台頭によって
現代人は1つのゲームをじっくり攻略するということをやらなくなっていった。
何か1つのことに、盲目的に熱中できる期間というのは長くない。多くは小学生から高校生の間に起こり、そして消えてしまう情熱だ。
その時代にどんな遊びに熱中したかで、人間というのは決まってしまうものなのかもしれない。

現代の若者の情熱はソシャゲに傾けられ、シュミレーションジャンルのようなじじくさいジャンルは時代の変化に取り残されてしまった。
誰が悪いとも何が悪いとも言わない。ソシャゲによって育まれる感性もあるだろう。
仲間と共に語り明かすのは楽しいだろう。全て時代なのだ。受け入れなければならない。
だけど、僕はその世界にあの緻密なシュミレーションRPGが存在しないという事実に、寂しさを感じてしまう。

僕は現代の若者に問いたい。余暇を楽しく過ごすためのゲームによって時間が奪われ、ゲームにさえも時間を惜しむようになってまでする「遊び」は本当に楽しいのか?
買ってすぐ投げ出してしまうような、そんな遊びのスタイルで本当にいいのか。
こんな時代だからこそ、時間という荒波に抗い、誠実にゲームと向き合うことが大切になると思う。
勿論つまらなかったら投げ出していい。それはプレイヤーの権利であり、現状、市場の大半を占めるプレイヤーの考えだ。
だけど、だけど今一度、ゲームという娯楽に対して、もう少し誠実になってほしい。
もう少しだけ、ゲームを見てやってほしい。それで見つかるものは必ずあるはずだから。
ところでなのはINNOCENTのなのはちゃん可愛すぎ。

2014/03/11

2014年ペナントレース予想

唐突に2014年ペナントレースの成績予想をします。ポジり目抜きのガチでいきます。


1位 巨人
2位 横浜
3位 広島
4位 阪神
5位 ヤクルト
6位 中日

巨人1位は仕方ない。強いもん。2~6位はかなり混戦するだろうけど客観的に見ても今年の横浜はやれると思う。少なくともAクラスは行ける。行きたいなぁ。

広島は純粋に強い。投手陣は言わずもがな、何より石原が良いね。守備の良いキャッチャーってのは居るだけでチームが強くなる。だから石原がもしケガとかしてしまったら5位もあるだろうね。投の要はマエケン、打の要は丸、そして守の要は石原だ。

阪神は補強の仕方がダメすぎる。オ・スンファンは確実に戦力になるだろうけど韓国以上の成績は残せるはずはない。良くて2点台前半くらいじゃないかな。ゴメスは一昨年の成績なら文句なしの獲得だろうけど、去年の成績が酷い。一昨年目をつけて今年獲得するとかまともな補強方法じゃない。ゴメスの契約事情的にも仕方ないんだろうけど、阪神フロントの頭が悪いとしか言い様がない。中継ぎ陣もベテラン主体だしいつ大崩してもオカシクない。打撃陣は言われてるほど問題があるわけじゃない。悪くない選手が揃っている。得点効率が悪いだけ。だから打線が噛み合えば面白いぐらい勝てるチームにもなるはず。阪神の順位次第で他のチームの動きが決まると言っても良いかもしれない。2位になっても、最下位になっても不思議じゃないのが今年の阪神だ。

ヤクルトは館山の復帰がやはり大きい。怪我人も去年より出ないはず。優勝を狙える戦力ってわけでもないけど、最下位にはならない戦力。

中日は褒める点がない。阪神なんかよりよっぽど4番不足だよ。ナゴドは広いからミート無視してでも規格外のパワーでHRをぶち込める外国人助っ人が常に求められるのに(T・ウッズ、ブランコ等)4番候補がルナ、和田じゃ話にならない。クラークを使ってた方が良かったんじゃないか。ドミニカくじが当たったとしてもAクラスに入れる戦力じゃないし当たる確率の方が低い。野手の層も相当低い。谷繁が監督兼任することでキャッチャーのレベルも落ちるだろうし、センターラインの打撃力もNPBではトップクラスに弱い。ヒヒーンが復活すれば別だろうけど。
吉見が復帰直後から大活躍、荒木完全復活、ドミニカくじ当たる。これらのうち2つが当たらないと最下位は免れないと思う。落合GMもそのことを承知で今年の補強をほとんど行わんかったんだろうし。落合GMにとって2014年はいわゆる「捨てシーズン」に思える。その捨てシーズンで大エースの吉見を疲弊させることもないでしょ。中日に関しては1年捨ててるな―、という印象を強く持った。
あと2014年のNPB日程によると、中日は巨人のエース級を延々とぶつけられる日程になってるっぽい(これが最下位予想の一番大きい理由かも)

まとめ
正直巨人以外はどの順位になってもおかしくない。ただ広島は強い。ベイスターズか阪神が2位にならなかったら間違いなく広島が2位に上がる。
そして恐らく交流戦では阪神と広島が勝ち抜けるだろう。絶対的なエースが居るからだ。横浜には絶対的なエースが居ないので交流戦は相当厳しい。だから横浜が上がる為にはレギュラーシーズンで何としても阪神と広島に勝ち越す必要がある。広島、阪神戦が横浜のカギとなる。



1位 ソフトバンク
2位 ロッテ
3位 西武
4位 楽天
5位 ハム
6位 オリックス

パはあんまり知らないんで投げやりに行きます。

ソフトバンクはまあ一位でしょ。若手中堅ベテラン外国人のバランスが完璧や。負ける要素が見つからない。

ロッテは戦力がかなり充実してるように思える。長打力のある打者が下位打線に居る打線を「どこからでも点が取れる打線」なんて言うけど、ロッテの場合は「どこからでもランナーが出せる打線」だ。それほど打線に穴がない。後は出したランナーを返せるかどうか、なんだけどこれはぶっちゃけ運だったりするのでロッテの打線はとにかく不確定な打線である。それでも強いよ、確かに。ノリにノレば1位もあるし、ノレなくても3位だろうっていう戦力。涌井も放置されがちだけど大きい補強だし。

西武と楽天はめちゃくちゃ悩んだ。どっちが3位でも4位でもおかしくない。だからまあ、なんとなく西部を3位にした。先発整ってるし。だから西武は3位です(断言)
楽天はマーくん抜きに去年が噛み合いすぎてただけなんじゃないかって気もする。2年目だし則本は調子落とすでしょう。だとしたら上がり目を期待するのはキツイ。

ハムは打線に穴がありすぎる。中田や陽はトップクラスの選手なんだけど、一部ポジションの下限が低すぎる。それでも最下位はない。いくら他ポジションの下限が低くても木佐貫、吉川、宮西、武田久、陽、中田、西川、大谷、アブレイユが居て最下位はありえねえぜ。一部選手に依存するってことは、ケガに弱いってことでもあるんだけど、まあ大丈夫でしょ。5位で。

オリックス・今年も優勝・無理ックス 真面目に無理です。ベイスターズファンが何言うてんねんって感じですけど戦力がひどすぎる。Aクラス諦めて、どうぞ(辛辣)



個人的には金子千尋の20勝期待してます。オリックスに残留してくれた方がパが盛り上がるので残って欲しいなあ、巨人行くんだろうけど。メジャー行ってほしいって気持ちもあるんだけどチェンジアップPだからなぁ……失敗しそうで怖い。

まとめ
順位はともかくソフトバンク・ロッテ・西武がAクラスなのは間違いない。間違いなくこの3球団が2014年のAクラスだよ、もし間違ってたら木の下に埋めてもらっても構わないよ。







5/10、ちょっと追記
オリックスめっちゃ強いっクス・・・
でも僕は予想を変えません(頑固)
横浜は一時期絶望しかけたけどマジで2位いける。僕には確信がありますよ。





























クソ唐突に淫夢動画紹介します。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21269863
編集が上手い(小並感)


元ネタはこちらです
https://www.youtube.com/watch?v=UcLuy_reqss
似てますね(小並感)

2014/01/09

のんのんびより最終回見ました。結論から言えば自由の対比という構造を使った日常の肯定だったのかな。とか思ったのでTwitterの引用交えつつ小さくまとめます。

のんのんびよりではかなりの頻度で「自由の拘束」が描かれる。3話の先生の田んぼ作業を手伝うエピソード。5話で海水浴に行くエピソード。9話で文化祭に友達が招かれるエピソード。10話で初日の出を見に行くエピソード。12話で私有地の清掃を住民みんなで行うエピソード等です。
のんのんびよりにおいてはどれもおだやかなテイストで和やかに描かれるが、これを現実に置き換えた場合田舎付き合いによる自由の拘束と受け取れる。 それは、田舎において付き合いを放棄するということは村八分にされるということに他ならないからだ。この辺りはのんのんびよりが描くことを放棄した田舎のネガティブな側面です。しかしそれを暗に提示している。これはのんのんびよりスタッフの誠実さです。我々はそれを足がかりにのんのんびよりを紐解くことができる。

以下Twitterからの最終回感想です。


私有地の清掃。これは前述の通り田舎の付き合いですね。更に私有地を持つ者が少ない都会との対比も行われている。そしてれんげは翼を授かる。これは疑う余地もなく自由と開放を意味しています。つまり土地(管理するべき物)を持たない現代人に自由がなく、土地(皆で守らないといけない物)を持つ田舎の人間は自由を得る。資本によって便利な生活を得た現代人は紛れも無く自由を手に入れたのでありますが、故に失った自由もあると。田舎の生活は人間関係が狭く自由を失いやすい環境ですが、故に手に入る自由もあると、のんのんびよりは語っているわけです。

その自由で人間がなにを行うか。これはOPでも語られているようにゆるやかに続いてく日々に答えなどなく、季節は歌うように過ぎていくものなのです。自由 の中でなにを行うかすら自由なのだと。彼女たちはその自由の中で「皆と戯れる」という田舎での日常を肯定する行為を選んだわけです。それは賞賛されるべきである。故に我は彼女たちを賞賛する。

最後に彼女たちがカメラの前に会釈をする。これは言うまでもなくのんのんびよりという存在が劇であるという主張ですね。つまりのんのんびよりは劇であると彼女たちは語っているのです。その劇がこたび最終回という形で締めくくられたわけです。

しかしCパートで再び映像が始まる。彼女たちは現れず数カットだけの田舎描写ですが、この描写によって我々はのんのんびよりの世界は続いていくことを知る。のんのんびよりという劇は終わりを迎えたが、のんのんびよりという世界は連綿と続いていくのです

よいですか。のんのんびよりという劇は終わりましたが、のんのんびよりという世界は連綿と続いていくのです。我々はそれを永遠に賛美することが出来る。

のんのんびよりという劇が終わっても、我々はのんのんびよりを永遠に賛美することが出来る。 それはかけがえのない事実です。

2013/11/21

お前をお兄ちゃんにしてやろうか!? 感想

MF文庫Jより2013年8月31日に発売されたライトノベル『お前をお兄ちゃんにしてやろうか!?』を読みました。
まったく買う気無かったんですが、うわー、すごい可愛いやんけ絶対面白いやんけ伝説のポケモンあげるから誰か買ってくれ~とか呟いてたらなんとfunyofunyoさんがプレゼントしてくださりました。本当にありがとうございます。またポケモン交換しましょう。

で、読んでて妹候補ちゃん5人がメイド姿で部屋にくるシーンで泣いたので感想書きました。


「妹という存在は本当に素晴らしいのか?」
そりゃキモオタならだれだって、可愛い妹が居て、依存して、依存されて、結婚して、幸せに暮らす妄想はしたことがあるだろう。
しかしそれは人間を駄目にする関係性なのではないか? そんな堕落のサイクルに美少女という尊い存在を巻き込んでしまうのは人間として最悪の行為なのではないか? そんな思いを抱きつつ俺は妹関連の作品をやり漁って来た。
だけど大半の作品では倫理における問題性を訴え、開き直るか、正面から向き合って克服してしまうか。そんなパターンばかりだった。最もそれは尊いのだが、俺の求めている答えでは決してなかった。
倫理的な問題など妹という、か弱く繊細な存在の前ではどうでもよいのだ。そんなことはこのインモラルで広大な情報社会において悩むべき問題点じゃない。
妹と結婚して、本当に妹を幸せに出来るのか。本当にそれで自分は幸せになれるのか。
錯乱した考えではあるが、俺は妹という共依存の存在を望みつつ、共依存という甘ったれた関係性を否定していたのだ。
この不毛な思考の連鎖に終止符を打ってくれたのが「お前をお兄ちゃんにしてやろうか!?」であり、今後10年間、妹という題材を描く創作はこの作品が提示してみせた到達点的な価値観を前提にせねばならないのは確かであろう。

さてこの「お前をお兄ちゃんにしてやろうか!?」
基本的な構造は孤独で問題を抱えた異常な人間たちが共同体を形成して、主人公が彼女たちの内に抱える問題を解決するというスタンダードな方式である。
だが、それらの作品とは絶対的に違う部分がある。それは個人同士の関係性が繋がった上での共同体ということだ。
「部活動」の様な組織的な関係ではなく、個人が個人と仲良くした結果形成された共同体というのがこの「レジデンス太子堂」という集合なのだ。
組織ではなく個によって模られた共同体は美しい。その上で、自己を少しでも実現しようと他者の力を借りつつ努力する、その姿に人は涙し、勇気を貰うのだ。

主人公の名は太子堂陽一。まあこいつはどうでもよいのだ。大事なのはこいつを通じて俺が彼女たちとコミュニュケーションが取れるという事実だけだ。妹候補の彼女たちは5人居る。

田宮世霊音さん。12歳中学1年生、ひきこもりではあるが確固たる価値観を持ち、その為に行動する力を持っている。ただ、彼女は社会を知らないのだ。俺は彼女に社会を教えた。インタネットの友だちと物をやりとりする際の適正価格を教えた。一緒に外にでる練習をした、世界の広さを教えてあげた。

日村友美さん。15歳高校1年生、FPSとプラモが好きな女の子だけど、少し暴力的で他者と協調する事ができない。俺は彼女に協力して何かをすることの楽しさ、合理性を教えた。競争は大事だけど、幸福は競争だけでは手に入らないという事を教えてあげた。

三島小百合さん。13歳中学2年生、誠実で、器用で、身の回りのこともなんでも出来て将来もちゃんと見据えて努力する事が出来る偉い女の子だけど、人のために頑張りすぎてしまうきらいがある。俺は彼女に頑張る事は大切だけど、それだけだと周りが見えなくなってしまうから、それと、俺の幸せだけじゃなくて、自分の幸せを追い求めて。自信を持つことが大事。そうしてくれたら、俺はもっとキミを好きになると伝えた。

立花優希さん。14歳中学3年生。背が高くてカッコよくて凛々しいけど、女の子っぽくないのを本人は気にしていて、そのせいで女性と話せなくて、直そうとしても空回りしてしまう。そんな女の子だ。俺は彼女に正しい女性としての振る舞い方、衣装を教えた。彼女は元が可愛いから、可愛い服を着けたらたちまち似合ってしまって、でも、まだ女の子と話せるわけじゃない。だから、これからも一緒に頑張ろうと伝えた。

大隈美佳さん。11歳小学6年生。無邪気で、お手伝いが好きな優しい女の子だけど、500円玉を集めるのが趣味で、お手伝いのたびにお小遣いを要求してしまう。俺は「お手伝いは金銭の為にするんじゃなくて、手伝う心が大切なんだよ」と教えなければいけないんだけど。出来なかった。

この作品では個人を通じて問題を打ち明け、検討し、解決に向けて努力することの重要さが描かれるが、当然それだけでは解決できない問題というのは出てくる。
大隈美佳さんの例がそれだ。俺は彼女に教育を施さないといけないのに、どうやっても切り出せなかった。
何故なら年上の人間がこうこうこうだと押し付けるのは不遜に思えたからだ。
共依存での共助の重要性ばかりにフォーカスされがちだが、このようにそれでも解決できない問題というのは確実に存在するのだ。
だが、それを打破してくれるのが他者ことケンタくんである。大隈美佳さんの友達であるケンタくんは、俺が言うべきだが言えなかった事を大隈美佳さんに伝えてくれていたらしい。ありがとうケンタくん、ありがとう他者。
つまりこれは共同体外で他者とコミュニケーションを取ることの重要性を示しており。個人だけではなく他者という双方向性を持った問題解決策を提示する辺りに作者の作家性、善良さが伺える。
単独でも、共同体でも解決できない問題があっても他者とコミュニュケーションを行うことでブレイクスルーは可能なのだ。

そうやって互いに検討を重ね、俺は彼女たちに、もっと一緒に頑張って正常な人間を目指そうと誓った。だが現実は残酷である。俺が彼女たちと過ごせる猶予はあと2日しかないのだ。 あと2日で、この中から1人を妹として選ばないといけないのだ。
この中から幸福にできるのは1人だけ。そこで前述の苦悩が闇の様に襲い掛かってくる。
「本当に妹と共依存することで幸福になれるのか?」
「それは甘えじゃないのか?」

その悩みに答えを出せぬまま、俺は機械の様にページをめくる。不意にメイド姿の妹たちが目に入る。妹たちが部屋に遊びにやってきたのだ。

世霊音さんは苦手だった掃除を手先の器用さを活かして進んでやってくれる。あんなに自分の部屋の掃除を渋っていたのに、まるで別人のようだ。

友美さんはお姉ちゃんとしてみんなに掃除を指示してる。不満が出ないように均等に接してくれて、わがままで自分勝手な妹だった出会った頃とは大違いだ。

小百合さんは食事を作ってくれた。マニュアル通りの、調べた俺の好物じゃなくて。俺に食べて欲しい食事を作ってくれた。自分の想いを素直に伝えられる子になれたのだ。

優希さんも女の子は苦手なはずなのに、みんなと協力して掃除をやってくれる。 女の子の前に立つだけで震えてたあの頃とは見違えるくらい、見た目だけじゃなくて芯もたくましくなった。

美佳さんは洗い物のお手伝いを率先してやってくれている。お小遣いのためじゃない。手伝ってあげたいと言って手伝ってくれている。

このメイドシーンはおそらく、レジデンス太子堂という共同体の崩壊を悲しみではなく、笑顔で、強く乗り切って欲しいという作者の善良な配慮であろう。俺の涙腺はその優しさに限界を迎えていた。

そして妹を決める日当日。情けないことに俺の決意は固められていなかった。
不可能なのだ。誰か1人を選ぶなんて。選んだところで、結局俺は依存してしまう……そんなのは嫌なのだ。このまま本を閉じて本棚に押し込めてやろうとさえ思った。そうしてしまえば、誰ひとり傷つかなくて済むのだ。
けれども、それでも誰かを選ばくちゃいけない。それこそが愛しい日常をくれた妹たちへの誠実な態度であると知っていたからだ。

「妹は決まりましたか? 陽一さん」
俺の背後に5人の妹候補たちが並んでいる。5人の中で、選べるのは1人だけだ。 こんな残酷な事があるだろうか。
悩みで押しつぶされそうになっていた。すると妹候補のみんなから、妹を決める前に話があるというのだ。話ってなんだ? ここで「私を妹に選んでください」と言われたら、俺はその子を選んでしまうかもしれない。だから、やめてくれ。そんな話は―――

「そばにいると私はお兄ちゃんにばかり頼ってしまうので、私はお兄ちゃんの妹にはなれません」

兄の支援を受けなくとも頑張ってみせる。それこそが美しい人間の生き方であると。世霊音さんは言ってみせたのだ。
馬鹿だ、俺はなんて馬鹿なんだ。彼女たちの強さを分かってあげられてなかった。分かった気になっていた。俺が居ないと彼女たちは頑張れないと。勝手に決めつけてたんだ。
彼女はなんて強いんだ。 そうだ。彼女たちのお陰で気付けた。
人は何かに依存したままでは強くなれないのだ。共依存は排他すべき関係性なのだ。
彼女たちは依存を必要としない強い人間を志した。いつか、強くなって、そして恋人としての関係を望んだのだ。
彼女たちが得ようとしたのは、妹という依存を前提とした立ち位置ではなく、恋人としての、対等な関係。
お互いが依存を必要とせず、2人身を寄せ合って楽しく過ごすというそんな理想的で善良な関係を望んだのだ。この決意は実に尊い。そうなんだ。俺が求めていた答えはコレなんだ。この決意こそが最も必要としていた覚悟なんだ。
だが時に決意と結果は伴わない。妹という立場を放棄するという願いは権威によって切り捨てられ、主人公は再度決断を要求される。
そこで彼女たちは問いかけるのだ、主人公に? 違う、俺にだ。現実に生きる俺という存在にだ。
依存じゃなく、助け合える関係。私はあなたの力になりたい。そういう決意があれば、きっと大丈夫だから。前に進めるから、だから彼女たちはページをめくる俺に問いかける。

「「「「「お前をお兄ちゃんにしてやろうか!?」」」」」


ありがとう世界。こんな自分に、こんな美しい人たちと巡りあわせてくれて。
頑張って社会で生きていきます。ありがとう。本当にありがとう……
苦悩は善良な妹たちによって打ち払われた。答えは得られたのだ。
これから先の決意は、彼女たちがするものでも、主人公の太子堂陽一がするものでもない。
この本を手に取り泣いているキミが、決意すべきなのだ。
ちゃんと考えて、悩んで、他者と検討してもいい、とにかくキミは彼女たちに誠実な返答を行うべきなのだ。
さあ! 答えは読者に委ねられた!! この一冊の偉大な書物の行く末! 決めるのはキミだ!
オタクどもよ!
思いおもいの答えを書き連ねよ!
声に出してもよい!
彼女たちに対するキミの誠意を見せてくれ!







僕はすごく悩んだ結果、田宮世霊音さんを選びました。2人で暮らして、一緒に自己実現しような。世霊音さん。いや、世霊音―――

2013/11/05

魔法少女まどか☆マギカ叛逆の物語

劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語を見てきました


そんでまあ全体の感想を言わせてもらうと、ああまどかだなぁと。終始、錯乱ミスリード演出、ミスリード錯乱、からの演出ミスリード錯乱みたいな感じでシンプルな脚本をそのまま視聴者に伝える気皆無でしたね。めちゃくちゃ頭使わされましたけど、やってることはホントシンプルでした。ホントシンプルなハッピーエンドでした。これを黒虚淵とか言ってる奴は小学校から倫理観を獲得しなおしてこいや。


物語はナイトメアという新たな脅威と戦うところから始まりますね。何故か死んだはずのみんなが生きてたりベベとかいう謎の生命体が存在していたりホーリクインデット(まどか、ほむら、マミ、さやか、杏子)が活躍したりします。正直ここらへんは茶番っぽいし頭使って見る価値ないなーって思いながら見てたんですけどOPでほむら以外のキャラクターが演劇してましたね。この時点で「ああ、ほむら以外のみんなは役割を演じてるんだな」ということはなんとなく分かりましたけど。まあ案の定ミスリードでしたけど。


モブ緑が上条恭介とかいう禁書とリトバスの合成品みたいな奴と上手く行かなくてキレます。そいつから生まれたナイトメアと戦う時に5人が勢ぞろいして変身シーン。この変身シーンですがTV版とめちゃくちゃ変わってます。なんていうか演劇みたいな感じ。捻くれすぎて気持ち悪い変身シーンでしたけどちゃんと意味がありましたね。TV版では正統派魔法少女物に見せかけるために可愛らしい変身シーンだったんですけど、映画ではわざわざそんなミスリードを誘う必要がないからカッ飛ばしてきたのかな~?? とか考えてました。はい、ミスリードでした。


まあケーキはマミとかキチガイみたいな意味わからんこと言い出すんけど「あっ、ここは茶番だな」と思って特に考えませんでした。ここほむらだけ訳が分からないまま役を進行してて、これは限りなく視聴者の気持ちを代弁してるんですね。つまりこの意味不明なシーンでほむら=視聴者の図式が完成するわけなんですよ。まあミスリードなんですけど。


そして、この死んだはずの5人が仲良く生きていてナイトメアという訳の分からない敵と戦ってる現状にほむらは違和感を感じます。そこで杏子を連れて、街の外に出ようとするんだけど、出れない。どこまでいってもどこまでいっても見滝原市から出ることが出来ない。ここでほむらと杏子は異常をハッキリと知覚し、視聴者と完全にリンクするわけです。 ミスリードだけど。


ほむらはこの事態を魔女の結界のせいと捉え、何故かマミが連れているベベ(首チョンパの張本魔女)を殺そうとします。んでまあなんやかんでマミVSほむらになるんスけどこの戦闘シーンがクソ熱いので要注目です。いや、ええもん見れた。これは別にミスリードとか関係ない(はず)です。


んでまあクソなんやかんやあってほむらが実は魔女でこの世界を作った犯人ということが分かって。

ここでキュウべえがネタばらし。
魔力が尽きて円環の理(まどか回収)に導かれる寸前になったほむらをインキュベーターが回収し、この世界と隔絶する空間に保管した。封鎖された世界の中で魔女となったほむらは無意識に杏子やマミと言った実存する魔法少女や緑モブ女や上条恭介、そしてなにより鹿目まどかを結界の中に呼び込んだ。ほむらが居た世界(叛逆におけるメイン世界)では鹿目まどかという人物は存在しない、そしてほむらは常々円環の理の事をこう呼んでいた「鹿目まどか」と。まあつまりこの鹿目まどかが円環の理の正体であることを突き止めちゃったわけです。この閉鎖空間で暁美ほむらの魔女を発現させ円環の理に導きに現れる鹿目まどかを観測して、鹿目まどかの力を制御下に置き、また元の絶望した魔法少女から魔女が生まれる世界に作り変えることがインキュベーターの目的だったわけです。
 まあなんやかんやで神まどかが送り込んださやかやベベが助けに来て、杏子やマミ、まどかの協力もあって閉鎖空間を撃破。インキュベーターの目論見を阻止し、ほむらはTV版最終回で望んだ通り、魔法少女の力を全て使い果たし倒れ、魔女になる前にまどかに救ってもらう。
完璧な結末です。ほむらは自分が望んだまどかからの救済を受けることに成功するわけです。なんでも一人でやってきたあの頃とは違い、仲間に助けられて、自分が望んだ最高の結末を迎える。そのはずだったのだけど……ここで序盤の執拗なミスリードが活きてきますね。ほむらはまどかとの対話の中で(省いたけど)芽生えた感情。あなたを辛い運命から開放してみせる。という気持ちを捨てられなかったんでしょうね。
ほむらは救済の直前、神まどかの力を奪い取り文字通り理に「叛逆」を起こした。宇宙の概念はまた作り変えられ、ほむらは神になる前のまどかを獲得し、自分がまどかの立ち位置に存在することに成功する。そして奪われたまどかに、自分が不必要になった暁美ほむらとしての存在を与え立場を逆転させた。円環の理に導かれたはずのさやかとベベは神まどかの制御を離れ現世に回帰し、杏子やマミは全てを覚えておらずそのまま生存した。かくして、世界は歪な形ではあるが完全な平和を取り戻すことに成功したのだ。まさにこの映画は暁美ほむらが世界に、インキュベーターに、理に対して叛逆する物語であった。


まあこんな感じのストーリーですね。誰も死んでません。むしろ全員生き返ってます。すごい。超ハッピーエンド。ほむらが理よりも愛を選んだことでみんながハッピー。革命はここに成った訳です。
ただの革命なら美徳であるがほむらが行ったのは紛れも無い叛逆である。最終回でまどかに誓った「最期まで魔法少女としての使命を果たして、まどかに導かれて救済される」という決意を自ら破ったのだ。よりにもよってまどかから能力を奪い取るという手段で。
 ほむらは自らが定めた尊い目的を達成することを拒み、醜い叛逆による平和を勝ち取ることを選んだのである。凄い。まさに悪魔的である。天使的な自己犠牲で他者の救済を望んだまどかと対極の行動で、ほむらはそれ以上の世界平和を勝ち取ったんですよ。終盤で、ほむらはインキュベーターに対してこれは愛だと言った。感情でも信仰でもなく愛。ほむらがまどかに抱いた想いはまさしく愛だったんですよ。ほむらは、愛を選んだ。ほむらにとってまどかは神ではなかった。愛すべき人間だったんですよ。そして最期はまどかの叛逆を予感させるシーンで終わる。あの世界は紛れも無く平和であるが、奪われ、平和を与えられたまどかはほむらに叛逆するであろうという表しですね。これは最高に悲しいと思うし最強に道徳的なんですよ。僕はあのままほむらが勝ち取った平和な世界を享受してほしいと思うんだけど、あの世界はそんな身勝手を絶対に許さないしまどかも自分の決意をないがしろにされたのはやっぱり、許せないことだと思う。キュウべえも遠からずほむらの支配体制へ叛逆を起こすだろう。祈りではなく叛逆で得た平和は長続きしないのだ……悲しい。


まあそんなワケでまどか☆マギカ叛逆の物語。終始ミスリードを誘う構成でした。中盤は頑張ったけど報われない話かな? と思ったら、その後は頑張れば仲間が助けに来てくれる話になってたし後半は自分の欲望の赴くままに平和を勝ち取る話でした。ミスリードの物量と質の高さはトップクラスですね。相変わらず虚淵はこういうのが上手いし、シャフトはシャフトで何気ないところで絵を使い回したりホントアニメを作るのが上手だなぁという印象です。

それとこれはまどか☆マギカ全体に通して言えることなんですけど、徹底的に他者の存在が排他されてますね。叛逆は特に顕著でした(というかそのもの)これは女子中学生の眼に映る世界の狭さの比喩ですね。その使い方が今作は特に目立ってた割にストーリー材料に絡まなかったしこれからの展開に関わってくるファクターになったりするんですかね。とりあえずほむらはもっと他者を信頼してほしかったというのが正直なところ。さやかとの対話からも逃げ、まどかから強引に力を奪った。ここらへん各所で言及されてる通り、時間を止められる能力を持つが故に他者を基本的に見下してるんですなァー。まどか☆マギカがほむら視点の話であり続ける限り、他者は絶対に描写されないと思います。逆にまどか視点ではモブキャラが結構活発なんですよ。これはアレですよね、ほむらはまどかと誰かとそれ以外っていう認識しかないんですよ。だからこそサイコレズみたいな扱いを受けるし(実際その通りなんだけど)悲しい。ほむらに対して一つ踏まえて欲しいのは、どういう手段であれ、いずれ叛逆が起こると約束された刹那的なものであれ、ほむらは1つの平和を成し得たということです。それは膨大な魔力を持つまどかでさえ出来なかった。この行為に宿る優しさはそれが全てまどかの為のものであっても尊いものなんですよ。ありがとう暁美ほむら……。


最後。EDとスタッフロールが流れてしばらく、また映像が映ってほむらが劇っぽい動きをするんですけど、これはアレですかね。やっぱり演じてるってことなんでしょうかね。コードギアスR2ラストのルルーシュの様な悪人を。自分が再構築した世界での役割を。それにしては構築が周到だしもう分かりませんわなァー。続編はないとのことですが、もしあるとすれば、それはほむらが叛逆される物語になるんでしょうなぁ。 僕はあのほむらが力づくで築きあげたあの世界が好きだから。なるべく壊してあげないんでほしいんですよ。革命のあとには保守が待っている。それはやっぱり、出来ることなら認めたくないじゃないですか。