2013/11/05

魔法少女まどか☆マギカ叛逆の物語

劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語を見てきました


そんでまあ全体の感想を言わせてもらうと、ああまどかだなぁと。終始、錯乱ミスリード演出、ミスリード錯乱、からの演出ミスリード錯乱みたいな感じでシンプルな脚本をそのまま視聴者に伝える気皆無でしたね。めちゃくちゃ頭使わされましたけど、やってることはホントシンプルでした。ホントシンプルなハッピーエンドでした。これを黒虚淵とか言ってる奴は小学校から倫理観を獲得しなおしてこいや。


物語はナイトメアという新たな脅威と戦うところから始まりますね。何故か死んだはずのみんなが生きてたりベベとかいう謎の生命体が存在していたりホーリクインデット(まどか、ほむら、マミ、さやか、杏子)が活躍したりします。正直ここらへんは茶番っぽいし頭使って見る価値ないなーって思いながら見てたんですけどOPでほむら以外のキャラクターが演劇してましたね。この時点で「ああ、ほむら以外のみんなは役割を演じてるんだな」ということはなんとなく分かりましたけど。まあ案の定ミスリードでしたけど。


モブ緑が上条恭介とかいう禁書とリトバスの合成品みたいな奴と上手く行かなくてキレます。そいつから生まれたナイトメアと戦う時に5人が勢ぞろいして変身シーン。この変身シーンですがTV版とめちゃくちゃ変わってます。なんていうか演劇みたいな感じ。捻くれすぎて気持ち悪い変身シーンでしたけどちゃんと意味がありましたね。TV版では正統派魔法少女物に見せかけるために可愛らしい変身シーンだったんですけど、映画ではわざわざそんなミスリードを誘う必要がないからカッ飛ばしてきたのかな~?? とか考えてました。はい、ミスリードでした。


まあケーキはマミとかキチガイみたいな意味わからんこと言い出すんけど「あっ、ここは茶番だな」と思って特に考えませんでした。ここほむらだけ訳が分からないまま役を進行してて、これは限りなく視聴者の気持ちを代弁してるんですね。つまりこの意味不明なシーンでほむら=視聴者の図式が完成するわけなんですよ。まあミスリードなんですけど。


そして、この死んだはずの5人が仲良く生きていてナイトメアという訳の分からない敵と戦ってる現状にほむらは違和感を感じます。そこで杏子を連れて、街の外に出ようとするんだけど、出れない。どこまでいってもどこまでいっても見滝原市から出ることが出来ない。ここでほむらと杏子は異常をハッキリと知覚し、視聴者と完全にリンクするわけです。 ミスリードだけど。


ほむらはこの事態を魔女の結界のせいと捉え、何故かマミが連れているベベ(首チョンパの張本魔女)を殺そうとします。んでまあなんやかんでマミVSほむらになるんスけどこの戦闘シーンがクソ熱いので要注目です。いや、ええもん見れた。これは別にミスリードとか関係ない(はず)です。


んでまあクソなんやかんやあってほむらが実は魔女でこの世界を作った犯人ということが分かって。

ここでキュウべえがネタばらし。
魔力が尽きて円環の理(まどか回収)に導かれる寸前になったほむらをインキュベーターが回収し、この世界と隔絶する空間に保管した。封鎖された世界の中で魔女となったほむらは無意識に杏子やマミと言った実存する魔法少女や緑モブ女や上条恭介、そしてなにより鹿目まどかを結界の中に呼び込んだ。ほむらが居た世界(叛逆におけるメイン世界)では鹿目まどかという人物は存在しない、そしてほむらは常々円環の理の事をこう呼んでいた「鹿目まどか」と。まあつまりこの鹿目まどかが円環の理の正体であることを突き止めちゃったわけです。この閉鎖空間で暁美ほむらの魔女を発現させ円環の理に導きに現れる鹿目まどかを観測して、鹿目まどかの力を制御下に置き、また元の絶望した魔法少女から魔女が生まれる世界に作り変えることがインキュベーターの目的だったわけです。
 まあなんやかんやで神まどかが送り込んださやかやベベが助けに来て、杏子やマミ、まどかの協力もあって閉鎖空間を撃破。インキュベーターの目論見を阻止し、ほむらはTV版最終回で望んだ通り、魔法少女の力を全て使い果たし倒れ、魔女になる前にまどかに救ってもらう。
完璧な結末です。ほむらは自分が望んだまどかからの救済を受けることに成功するわけです。なんでも一人でやってきたあの頃とは違い、仲間に助けられて、自分が望んだ最高の結末を迎える。そのはずだったのだけど……ここで序盤の執拗なミスリードが活きてきますね。ほむらはまどかとの対話の中で(省いたけど)芽生えた感情。あなたを辛い運命から開放してみせる。という気持ちを捨てられなかったんでしょうね。
ほむらは救済の直前、神まどかの力を奪い取り文字通り理に「叛逆」を起こした。宇宙の概念はまた作り変えられ、ほむらは神になる前のまどかを獲得し、自分がまどかの立ち位置に存在することに成功する。そして奪われたまどかに、自分が不必要になった暁美ほむらとしての存在を与え立場を逆転させた。円環の理に導かれたはずのさやかとベベは神まどかの制御を離れ現世に回帰し、杏子やマミは全てを覚えておらずそのまま生存した。かくして、世界は歪な形ではあるが完全な平和を取り戻すことに成功したのだ。まさにこの映画は暁美ほむらが世界に、インキュベーターに、理に対して叛逆する物語であった。


まあこんな感じのストーリーですね。誰も死んでません。むしろ全員生き返ってます。すごい。超ハッピーエンド。ほむらが理よりも愛を選んだことでみんながハッピー。革命はここに成った訳です。
ただの革命なら美徳であるがほむらが行ったのは紛れも無い叛逆である。最終回でまどかに誓った「最期まで魔法少女としての使命を果たして、まどかに導かれて救済される」という決意を自ら破ったのだ。よりにもよってまどかから能力を奪い取るという手段で。
 ほむらは自らが定めた尊い目的を達成することを拒み、醜い叛逆による平和を勝ち取ることを選んだのである。凄い。まさに悪魔的である。天使的な自己犠牲で他者の救済を望んだまどかと対極の行動で、ほむらはそれ以上の世界平和を勝ち取ったんですよ。終盤で、ほむらはインキュベーターに対してこれは愛だと言った。感情でも信仰でもなく愛。ほむらがまどかに抱いた想いはまさしく愛だったんですよ。ほむらは、愛を選んだ。ほむらにとってまどかは神ではなかった。愛すべき人間だったんですよ。そして最期はまどかの叛逆を予感させるシーンで終わる。あの世界は紛れも無く平和であるが、奪われ、平和を与えられたまどかはほむらに叛逆するであろうという表しですね。これは最高に悲しいと思うし最強に道徳的なんですよ。僕はあのままほむらが勝ち取った平和な世界を享受してほしいと思うんだけど、あの世界はそんな身勝手を絶対に許さないしまどかも自分の決意をないがしろにされたのはやっぱり、許せないことだと思う。キュウべえも遠からずほむらの支配体制へ叛逆を起こすだろう。祈りではなく叛逆で得た平和は長続きしないのだ……悲しい。


まあそんなワケでまどか☆マギカ叛逆の物語。終始ミスリードを誘う構成でした。中盤は頑張ったけど報われない話かな? と思ったら、その後は頑張れば仲間が助けに来てくれる話になってたし後半は自分の欲望の赴くままに平和を勝ち取る話でした。ミスリードの物量と質の高さはトップクラスですね。相変わらず虚淵はこういうのが上手いし、シャフトはシャフトで何気ないところで絵を使い回したりホントアニメを作るのが上手だなぁという印象です。

それとこれはまどか☆マギカ全体に通して言えることなんですけど、徹底的に他者の存在が排他されてますね。叛逆は特に顕著でした(というかそのもの)これは女子中学生の眼に映る世界の狭さの比喩ですね。その使い方が今作は特に目立ってた割にストーリー材料に絡まなかったしこれからの展開に関わってくるファクターになったりするんですかね。とりあえずほむらはもっと他者を信頼してほしかったというのが正直なところ。さやかとの対話からも逃げ、まどかから強引に力を奪った。ここらへん各所で言及されてる通り、時間を止められる能力を持つが故に他者を基本的に見下してるんですなァー。まどか☆マギカがほむら視点の話であり続ける限り、他者は絶対に描写されないと思います。逆にまどか視点ではモブキャラが結構活発なんですよ。これはアレですよね、ほむらはまどかと誰かとそれ以外っていう認識しかないんですよ。だからこそサイコレズみたいな扱いを受けるし(実際その通りなんだけど)悲しい。ほむらに対して一つ踏まえて欲しいのは、どういう手段であれ、いずれ叛逆が起こると約束された刹那的なものであれ、ほむらは1つの平和を成し得たということです。それは膨大な魔力を持つまどかでさえ出来なかった。この行為に宿る優しさはそれが全てまどかの為のものであっても尊いものなんですよ。ありがとう暁美ほむら……。


最後。EDとスタッフロールが流れてしばらく、また映像が映ってほむらが劇っぽい動きをするんですけど、これはアレですかね。やっぱり演じてるってことなんでしょうかね。コードギアスR2ラストのルルーシュの様な悪人を。自分が再構築した世界での役割を。それにしては構築が周到だしもう分かりませんわなァー。続編はないとのことですが、もしあるとすれば、それはほむらが叛逆される物語になるんでしょうなぁ。 僕はあのほむらが力づくで築きあげたあの世界が好きだから。なるべく壊してあげないんでほしいんですよ。革命のあとには保守が待っている。それはやっぱり、出来ることなら認めたくないじゃないですか。