2013/11/05

たまゆら~もあぐれっしぶ~感想

たまゆら~もあぐれっしぶ~を見ました

名前がややこしいですね、未だに覚えられてないです。たまゆら~hitotose~でも思いましたけどこういうタイトルの付け方最高にダサいしやめてほしいですね。かといって「けいおん!!」みたく1期2期の区別がつけにくい名前にするのもそれはそれでめんどくさいし困る。「2」とか「NEXT」みたいな形にするのが結局無難ですけど一番良いんじゃないですかね。というわけでこのブログではたまゆら~もあぐれっしぶ~のことをたまゆら2期と呼びます。ところで2期は多分ありませんがC3部というアニメが面白いので見てください。



たまゆら2期はニコニコの一挙放送で見ました。滋賀県じゃ映らないのでこういうのホント助かる。まあニコニコとかバンダイチャンネルで放送はやってたんですけど正直OVAや1期がまるで面白くなかったのであの佐藤順一原作脚本監督と言えども、ネットでわざわざ追いかけて見る価値はないですわなァー。とか思って見てなかったんですよね。ぶっちゃけ冷静な判断だったと思います。まあ間違いだったワケですが。



たまゆらが放送されてる最中僕はTwitterで「あ~~たまゆらつまんねーよ~~佐藤順一クソだよ~~」とか呟いたりパワプロ2013のサクセスで斎藤佑樹をそこそこ強い能力にして遊んだりしてたんですね。それぐらいつまらなかったんですよ。


たまゆら、どういう作品かっていうとAmazonレビュー見れば本編見なくても分かるかもしれません。一貫してほのぼのとした世界観の中でクソ優しい女子高生とクソ優しいその家族やクソ優しい街のみんながクソ優しい女子高生の生き様をクソ優しく見守るという内容でホントつまらないんですよ。
こういうの好きな人はホント理解できない。佐藤順一はこういう系統の作品を作る人だけど、偉大なる過去作品は原作が違ったり企画が違ったりして、佐藤順一とは違う色の毒が入ってたんですよ(ケロロ軍曹とかその際たる例じゃないですか)そうやって成功していた。それが佐藤順一だけの作品となると無味無臭くさくて画面見てられないです。Twitterでも「佐藤順一は企画力ねークソだなー」とか呟いてました。


まあそうやってダラダラたまゆら見てると気づくことがいっぱいあるわけです。そもそもたまゆら、現実の竹原市を舞台にしてたり、実際のアーティストをアニメに出したり、完全に実存する世界の女子高生の日常に移入させる系の作品なのにカメラとかももねこ様とか視聴者が俯瞰的になるパーツガンガン出してくるんですよ。佐藤順一らしくないことにこの時点で演出方針がブレブレです。今考えれば塙かおるさんの「かおたんゆーな!」というセリフもアニメキャラであることを意識させるセリフでした。このセリフから分かるのは、たまゆらのキャラクターはアニメキャラなんですよ。現実には生きてないんですよ。もしリアルで勝手にあだ名付けられて呼ばれたりなんかしたら僕は発狂してパイプ椅子振り回しますよ。
現実で(友達とはいえ)勝手にあだ名つけるなんてほとんど現実ではありえない行為だし、もしあったとしたらマジでクソうざいですよね。だから「かおたーん」「かおたんゆーな!」という一連の流れは、彼女たちがアニメキャラであるという事実を示す演出なんです。


話を戻して、僕たちは現実に生きる一般人なのでアニメキャラに感情移入して楽しむって事は不可能なんスよね。それを擬似的に可能にする手法もあるんだけどたまゆらは一切使ってないしここでは言及しません。つまりたまゆらはアニメキャラクターの日常を保護者目線(俯瞰的視点)で見てくださいってアニメになるんだろうけど(ならないといけないんだけど)きんいろモザイクの様なキレッキレのギャグがあるわけでもゆゆ式の様な現実を意識した会話を主軸に置くでもなく、
何の変哲もないアニメキャラ女子高生のほのぼの日常が延々と佐藤順一画面(氏の過去作で何度も見せられて飽々してる画面)で繰り広げられるわけです。つまり面白味がない。楽しみ方がないわけですよ。我々視聴者はこのたまゆらという作品を享受する方法を完全に絶たれたということです。厳しい。というか、ありえない。C3部はこのへんの調整が完璧で見ててとても心地が良かったですね。


そんな事を考えながらまあボーッとして見てたらいつの間にか最終回でああこんなもんかー。みたいな妙な納得をしてたんですよ。佐藤順一はこの程度だったのかと。こんな演出の初歩すら出来ない無能監督だったのかと。んで最終回終わって、ニコニコ生放送は「嫁コレ」っていうたまゆらが出てるアプリのCMに入ったんですね。 そこで全ての真理を、この作品のギミックの全てを見つけました。価値観が完璧にスッ飛びました。


その「嫁コレ」 のたまゆらのCMが本当にエロかったんですよ。グレゴリオ暦最高のエロとの呼び声も高いGJ部並みのエロさでした。いやぁ、本当にエロかった。そのエロから着想を得ることで真理に到達できたんですよ。

それでは、佐藤順一氏がたまゆらに仕掛けたの壮大なギミックを1から語っていきます。

 たまゆらのキャラクターはみんな良い子、良い人ばかりなんです。
中盤でかなり口の悪いクソ捻くれインテリオヤジが出てくるんですけど、主人公の沢渡楓さんは圧倒的な精神的寛容さを発揮して、その人すら許容するんです。分かりますか? これは余裕です。中流家庭に生まれ容姿は端麗、まだ十分なモラトリアムをその身に残し、将来もそれなりに見据えている女子高生の余裕です。そのありあまる余裕をもってロリ容姿の女子高生が気持ち悪い性格の捻くれたおっさんを許容する。この事実を精神に受容させることで自己精神改革が行われます。この自己精神改革を発現させた状態でたまゆらの嬢ちゃんたちを見てみるとエっろい、エっろい。エロ過ぎる。ここに、佐藤順一によるアニメを用いた他者の精神改革が完了したというわけです。


俯瞰的視点と移入的視点をアナーキーに作品内に混在させてたのも現実は成し得ない沢渡楓さんの超度精神的寛容さをアニメーションに違和感なく落としこむための錯乱でした。沢渡楓さん達が他者がどうあろうとも許容していくその姿勢は本当に素晴らしい物だし真理性が極めて高い。このどんな他者すら許容していく姿勢は実に尊いのですがそれを認識するのは自己精神を改革しなくちゃダメで非常に難しいんですね。佐藤順一氏はそれをエロさという看板を使って作品内の至る所に気付きの機会を置きまくって、たまゆらを視聴した他者の脳を片っ端から改革していくことで沢渡楓さんの持つ美しい感情と姿勢を視聴者に一寸の誤解も生まれないレベルで伝達するギミックになっているんですよ。いや、これは本当にスゴイことですよ。


 勿論このギミックの存在を知らないままたまゆらの視聴を終えてしまう者も数多く居るんですよ(僕もその1人になりかけるところでした)。それは仕方のないことでそれに気付けない人の知性が悪いと見下してはいけないんです。ただ、たまゆらのスゴイところは、気付かなかった人でも差し障りの無いそれなりに感動するっぽいエピソードを盛り込んである程度の売り上げを確保したという点です。映像芸術は確かに素晴らしいかもしれないけど、資本主義は素晴らしいだけではやっていけない。大衆に受け入れられないと意味がない。この手法を盛り込んだからこそ安定した売り上げを築き、OVA、TVアニメ1期、2期とシリーズを続ける事が出来たんです。だからこそ僕も2期の最後の最後でようやく気づくことが出来た。
今思えばたまゆらは気付きの機会を視聴者に多く、より多く与えようとしていた作品でしたね。クソ差し障りの無いクソほのぼのストーリーも、2期をやって気づきの場を増やす為の一環です。この辺の制作手法はC3部と対極にありますね


たまゆらという作品を通じて分かった佐藤順一という人物は、とにかく 女の子を可愛くみせよう、他者に女の子の可愛さ、エロさを知ってほしいと考え、それを実行する身体性と実力を持つ素晴らしい人物でした。氏の新作、心を震わせてお待ちしています。頼む。




最後に、これは良いコンテンツになるぞ。とおもったので僕のTwitterたまゆら実況のツイートをまとめて掲載します。






 佐藤順一。女子高生の日常描くのやめてほしい


 というかたまゆらは全体的におかしすぎる。女子高生の日常に移入させる系の作品かと思えば写真部とかももねこ様とか視聴者が俯瞰的になるパーツ出してきや がってよー。だとしたらそれは保護者目線で見てくださいってことなんだろうけど、保護者目線で女子高生のほのぼの日常を楽しめる人間がどれぐらい居るのかっていう話スよ。俯瞰的にさせるならガンガンストーリー動かしてくれ。頼む。そう、それはC3部の様な(宣伝)


 C3部は俯瞰と移入の双方で違う面白さが提供されてて、なおかつどっちにでも視聴者が切り替えられるように演出も配置されててとにかく上手いのね。バラバラであることが一貫してるしその質が高すぎる。のね。ホント見てくださいC3部


マジで高尚な精神を既に獲得してるキャラクターを女子高生にするのやめてくれ・・・、女子小学生にしてくれ・・・頼む・・・


乳首出してくれ・・・頼む・・・


たまゆらの下瞼を点々で描くの雑魚ロリっぽくて最高に可愛いんだけど顔が縦に長すぎるせいで女子高生になってるのホント悲劇でしかない


 やっぱ佐藤順一企画力ないな。作品に何も一貫性がない。監督や演出やらせるだけなら良いもん作るんだけど・・・たまゆらの信じられないぐらいダサい映像を俯瞰でガンガン見せるのホントやめてくれ・・・


 たまゆら、俯瞰的な視点連発しておいて現実の人間ゲストで出すとかふざけてんのか


 佐藤順一ある程度凄いと思ってたけど今日からそびえ立つ糞でしかない。ARIAも全否定する勢いでキレてる


 マジでやめてくれ・・・。女子高生にしたのはロリ絵柄で高身長っていうギャップのエロさを出そうとしてるって理屈で納得したけど、マジで何がしたいのか分からん。佐藤順一頭イカれたんじゃないのこれ


 カメラっていう映像構造意識させるモンをメインに据えて、キャラクターも如何にもキャラクターキャラクターしてるキャラクター人間ばかりでこれはフィク ションですよアニメですよーみたいな雰囲気出してんのに実際のアーティスト出したり現実の街とコラボしてまちおこしとかふざけてんのか


 アニメと視聴者舐め腐るのもいい加減にしろや。マジでありねぇだろコレ。佐藤順一二度とアニメに関わるんじゃねぇぞ


 もう佐藤順一作品全否定する。セーラームーンもケロロ軍曹もカレイドスターもARIAも全否定する。佐藤順一はクソだ(キレてる)


 描きたいものを色々な角度から描くとかならともかくコイツら(長井龍雪佐藤順一)は色々な物を同じ角度で永遠描いてるからクソムカツんスよ。それはもう手抜き以外のなにものでもないでしょ。やめてくれ


 たまゆら最高だった


 エロ過ぎた。佐藤順一の伝えたい事が完全に理解できた。


 佐藤順一。似たような映像ばかり作るけどソレに込められたメッセージはまさしく誠実であるし、どうやったら女の子が可愛く見せられるか真剣に考えた末の素晴らしい考えを見事に作品にしてた。すごすぎる。これはどのアニメ監督にも不可能な試みと実装なんじゃないですかね。ホント素晴らしい人物だ
 

 俯瞰的視点と移入的視点を混在させてたのも精神的寛容さをアニメーションに違和感なく落としこむためだったし、ぽって達が他者がどうあろうとも許容していくその姿勢は本当に素晴らしいし、ここに1つの到達点を見た。


 ぽってたちが実存するのか、それともフィクションの人物なのかは視聴者の判断に委ねてて、ただこの作品のメッセージは「存在が現実であれ、フィクションであれ、ぽってたちは全て受け入れ許容しますよ」って言ってるしそれは間違いなく尊い


 ダメだ。たまゆらで完全に脳がやられた


たまゆら、虚構と実存、双方に対して精神的寛容さ(尊い)をコンテンツ全体でアピールすることで現実的ではない他者への許容をもってした平和主義思想を脳に植え付け。そうやって植え付けられた思考でもって画面を見て初めて作品に隠されたエロスが視認できるようになっているギミックです。


 このギミックにはマジでビビったし度肝抜かれた。ある意味C3部と対極にありつつ、根本的なところでは同じ作品ですね。


 というわけでC3部一挙放送はいよいよ明日です。


 【ニコ生(2013/11/04 17:00開始)】ニコニコアニメスペシャル「ステラ女学院高等科C3部」一挙放送 #C3部 nico.ms/lv155374533


 っていうか佐藤順一凄すぎる。一旦気づいてしまえば全てが噛み合って一つの真実(エロさ)に到達するこの構造を作れるのホント天才だ・・・


 当日見れない人もタイムシフト、頼む。C3部なんとしても見てくれ……