ランス9ヘルマン革命 正史ルートクリアしました。
笑いころげたし泣きまくったしラスボス戦は最高に熱くなったんですが、まあプレイしてる最中に「あっ、これは評価割れるな」と思ったし実際世間もそんな感
じの評価なんですが僕は典型的なランス信者で、ランスの物語は感情論だけで絶賛するのでそこらへんよろしくお願いします。
あ、だから全力でネタバレします。
ランス9ぶっちゃけ期待してなかったんですよ。多分戦闘はダレるんじゃないかな~~~ってずっと思ってましたし実際相当ダレた。
戦力性もクソもない。キャラ突っ込ませて適当に必殺技ぶちまけるだけ。
肝心の浮遊要塞戦闘もほとんど使わないし独自性も拡張性も一切ないです。
ゲーム要素については完全な回帰ですねこれは。元より誰も戦国マグナムレベルの戦闘は期待してないでしょ。
期待した方はじゃけん次回作に貢ぎましょうね~。
練度の高いシュミレーションRPGなんて現代で作るのは不可能なんですよね。
ここらへんランス9のレビューで書いてしまうのはどうかと思ったけど、必要なことだとも思ったので後ろに書いてます。
とにかく戦闘に鬼畜王戦国クラスの緻密で爽快で明瞭なものを期待して文句言う人は相当いると思います。
まあこれに関してはね、シュミレーションRPGなんていうジャンルにしたアリスソフトが全部悪いわけですよ。
名作と謳われてるママトトですら戦闘はざっくばらんな仕上がりだったわけだし
その意匠を受けつぐ形で作ったらそりゃこうなる。
あと下手に戦略性があるかのように宣伝したのも悪い。
戦略性、ないでしょ。戦術性はあるけど戦略性は皆無です。だいたい運。
強いアイテムが手に入るかどうかは運だし、手に入ったとしても戦場で機能してくれるかどうかも運だし(攻撃力うp系は安定して強いけど)
イベント戦闘も出撃必須キャラを育てる必要はなくて、ただ運で回避、受け流ししてくれるのを待つだけだし
武器の強化が成功するかどうかも運。挑発が決まるかどうかもアイテムつけなきゃ運。
大規模戦闘はどれだけ回避受け流しが発生するかだし、敵のねばりが発生するかどうかも運。
勝てなかったー、ぐわー、もう一回だー! ってチャレンジすれば何の対策もしなかったけど勝てちゃった。
なんてザラにあります。
戦国ランス最高難易度のことを一部の人は「暗殺ゲー」だとか「運ゲー」などと呼びますが(別に戦国ランスは暗殺ゲーじゃないけどね。暗殺に頼らなくても☆5正史42ターンでクリアできる。もっと手裏剣使え手裏剣)
今作、ランス9は素で運ゲーをいってしまってるわけです。
ランス5Dなんかは最初から「このゲームは運ゲーです!」と言い張ってたわけなんですが
ランス9は拡張要素、戦略要素があるように見せかけておいてその実大半が運です。
これが批判される最大の要因になってると思う。
だから戦闘に戦略性はありません。
それこそランス3.4の戦闘を思い出していただきたい。
あんな感じのSRPG戦闘だと思えばいいんです。
決して戦略性、自由性に富んだシュミレーションRPGなどではないです。
3.6.9と流れを見ていけば今作がただのRPGだということがわかります。
だから僕は戦闘に一切期待してなかったし実際その通りになったので
戦闘という要素を省いてランス9感想書きます。
ランス9ヘルマン革命という作品、一言で言ってしまえば「英雄譚」であるし、ざっくり切ってしまえば「壮大な身内ネタ」
英雄譚の方から書いていきましょうか。
「ランス」という作品自体典型的な犯罪者のすごい強い主人公がファンタジー世界でエロエロしまくるという典型的な感情移入型エロゲーであり、主人公=ランスという構図になっているんですが、今作ではド正面からそれをぶち破ってきましたね。
勿論このランス=プレイヤー という構図、ちょっとでもランスシリーズを遊んだ人ならすぐに否定します。僕だって否定する。
ランスシリーズはランスという極悪な主人公を笑って、時には感情移入にして共に盛り上がる作品だと。つまりランスとはキャラクターであり、ランスに自分を投影するなんてことはありえないと。
けど、暗にその構図はありました。それは選択肢や行動コマンドです。
そう、ランスシリーズにおいてプレイヤーは選択肢を選ぶことでランスにヒロインを犯させたり、何もせず逃したり。
世界を救う王様になったり、逆に世界を滅ぼす魔王にならせたりしていたわけです。
つまりプレイヤーがランスを操作していた。まあゲームだから当然ですわな。
これは行動コマンドにおいても同義です。プレイヤーは北の国か南の国どちらを先にランスに攻めさせるか決定することができた。
2や3などの一本道のRPGでさえ自分で行動を選んでランスを操作することができた。つまりランス=プレイヤーの図は確かに残されていたわけです。
今作、ランス9はそれを徹底的に破壊する。
そもそもランス9には選択肢なんて1つも存在しないんです。だからプレイヤーは何も決められない。
戦闘をどう戦おうと結末には影響しない。
プレイヤーがシナリオを決定できる要素といえばバッドエンドの陵辱ルートと、どのヒロインとHするかの猿玉振りぐらい。
だから本編ではあますところなくランスの活躍が描かれる、全ての行動をランスたちが決めて、プレイヤーはちょこっと運ゲーの戦闘を操作して革命を成し遂げる。
そこにプレイヤーの意図が介在する余地はない。プレイヤーはどのキャラとHしてどのルートに行くか、誰のバッドエンドを見るか。そういう形でしか物語に介入できない。
これを英雄譚と呼ばずしてなんと呼びましょうか。我々エロゲープレイヤーは物語の決定権を剥奪され、全てはランスに委ねられた。プレイヤーはエッチの方向性だけ示していればいい。
ここにランス=プレイヤーの図式は崩壊しました。ランスはプレイヤーの制御を離れ、好き勝手に物語を進めていく。
ランスを操作する唯一のシステムだった選択肢はもう存在しないのだから。
この選択肢を登場させない。という形式はまさしく今までのランスシリーズ全てに対しての革命といえるでしょう(こういうこと言っておいてなんですが次回作あたりは普通に選択肢復活してると思います)
この作品を語る際に「ママトト」という作品の把握は欠かせない。
別にプレイしてなくても楽しむことはできるけど語るのには本当に欠かせない。
ゲームシステムからシナリオ、キャラクター(厳密に言えばアリスソフトお家芸のスターシステムなのだが)から最終戦の構図、BGMまで随所にママトトの血が混じってるのがランス9なのだ。
だからママトトユーザーの僕なんかは最終戦のBGMで「ウッヒョー!!」となるし
そうでない人は特にBGMを気にせずEDを迎えるんですよね。別にこれは今作に限ったことじゃない。
ランスクエストなんて5Dへのオマージュが随所に含まれていたわけだし。
ただ今回は特に過去作ネタ、ママトトネタが多いんですよね。
だから人は言うでしょう。
「アリスソフトは新規ユーザーのことを考えない老害だ」
「ちゃんと新規ユーザーにも把握しやすい設定やシナリオのゲームを作れ。パットンの放埒時代なんかしらねーよ」
そのとおりですそのとおりです。ゲーム中にも解説やヘルプは登場するけど、それでは十分といえない。
闘神や聖魔教団の説明はどう聞いたって不足だし
パットンの成長なんて過去作をやってないと実感することはできないでしょう。
そもそもパットン自体最近のメインシリーズだと6にしか出てこないし
戦国から入った人なんて「パットン? 誰それ?」状態でしょう。
だからこれから何度も言いますが、ランス9は内輪ネタだらけの作品です。
ランス過去作やママトトをプレイした否かで没入度は大きく変わるでしょう。
例えば僕なんかはヒューバートが奥さんの墓壊されて怒り狂うシーンでボロボロに泣くんだけど
鬼畜王やってない人は素通りするだろうし、シーンの意図もぶっちゃけ鬼畜王やってないとわかりづらい。
要するに欠陥品なんですよ。ゲームとして。内輪ネタでしか盛り上がれないゲームなんて
欠陥以外のなにものでもないでしょう。
その批判はあってしかるべきだと思います。
でも、それでいいんですよ。内輪ネタでいいんですよ。それこそがランスシリーズが目指すべき道だとアリスソフトはランス9で鮮烈に示しました。
内輪ネタでも、笑って、泣けて、叫べて、熱くなる。そんなゲームこそがこれからのランスだと
アリスソフトは示したわけです。
だからこれらの内輪ネタオンパレードも全て意図的なものでしょう。
(TADAさんがサボらなければ)もうシリーズも長くない中、ランスはこれで突き抜けますよ。
ついてこれる奴だけついてこい。最高に熱くさせてやる。
ついてこれねぇ奴は無料で配布してる過去作やって勉強してこい。
そのうちランス03も出すからよ、リーザス軍人との馴れ初めやパットンの放埒時代が知りたい人は買ってね♡。ということでしょう。
だからパットンの放埒時代がまるで描かれないのも、リーザス武将たちがどういう人なのか説明がないのも
全てはランス03を買わせるためだったんだよ!!!!
話がそれた。要するにランス9は「これからのランスはこうでいきますよ」というお触れなわけです。
おそらくランス10も内輪ネタを大量に詰め込んだ、旧来からのファンでも把握しきれないような
設定の変化や新しいキャラが大量にでる作品になるでしょう。
けどね、それでいいんです! ランスはこうなんです!
分からない奴は容赦なくおいていってやる! と
ランス9とは、そのメッセージなんです。
ゲームとしてはおよそ不完全な運ゲーでしょう。シナリオは過去作を十分に遊んでないと把握しきれないような欠陥品でしょう。
しかしそれは欠陥品であっても、旧来のからのファン全力で楽しませてくれるものです。これは断言できる。
ランス初期、鬼畜王から続くファンの期待に全力で答えた作品。
それがランス9であり、それに対して「新規にはシナリオが分かりにくい」「運ゲーすぎる戦闘」などと言ってケチをつけてしまうのは不粋というものでしょう。
(いや勿論そういう批判はあってしかるべきですが)
ランス9とは、アリスソフトがファンへ全力で贈る18年越しのアンサーです。
それを大事に、確かに噛みしめて、僕は高らかに叫ぼう。
アリスソフトに信頼と感謝を込めて――
「あてなちゃんユニットで使わせろや!!!!!!!!!」
しょうもないことしか書いてないんで真面目にランス9語ります。
シナリオはすごい良かった。前述の通り内輪ネタだらけで進むシナリオですが、それなのに新規ユーザーでも楽しめる形に落としこんだのは素晴らしいの一言。まあ安っぽいんですけどね。安っぽいんですよ。だから良い。
音楽はshadeさんが参加しないということで不安があったんですが、杞憂に終わりましたね。
本当に気合が入ってる素晴らしいBGM揃いだった。
ここにshadeさんが加わっていれば……!
と思うこともないですが、とにかくBGMは名曲揃いです。
最終戦にRunning to the straightのアレンジとか熱いに決まってる。
絵は頭身戻りましたね。僕はあの頭身が好きでした(半ギレ)
まあCGは素晴らしい仕上がりだと思います。あてなちゃんのミニキャラ可愛すぎ。
エロシステム、全部飛ばしてるから1つも見てない。
かなみちゃんのデレは本当に心臓がバックバクした。
腕くんでデートする写真誰が撮ったんだ。
あのCGが販売特典で良かった。
戦闘はまあ上でボロクソに言ってますけどそこまで悪いわけじゃないです。
楽しいよ。楽しいんだよ。
ただ、過度な期待はするなよってだけです。
パットンの必殺技が武舞乱舞じゃないのずっとムカついてたんですが
最終戦でああもやってくれると全部許しますわな。
僕は最終戦、当然ランスにトドメさそうとしたんですよ。
ランスシリーズユーザーなら分かると思いますが
ラスボスをランスのランスアタックで倒すのはお約束であり、これをやらないと落ち着かないんですよ。
多分皆さんもそうだと思う。
だから僕はランスでトドメをさした。すると盾が復活する。おいおい、また倒さなくちゃいけないのかよ。
パットンが話す。俺にトドメをさせてくれ。と。
ありえんでしょう。ラスボスにトドメをさせるのはランスの役目であって、パットンがやっていいことじゃない。いやだいやだ、ランスでトドメがいい~みたいなことを僕は思うわけですが、そこでランスが叫ぶんですよ。
行け! パットン! って。
じゃあ僕もPCの前で叫ぶしかないじゃないですか。
お前が決めろ! 革命者パットン! って(最高にキモい)
このね、主人公は絶対にランスなんだけど最後にパットンがケリをつけるっていう持っていきかたですよ。
パットンがやらないといけない。よし、じゃあお前がやってこい! とプレイヤーに考えさせるに至るまでのパットンを魅力的なキャラとして描ききった。
僕みたいな「ラスボスは絶対にランスのランスアタックで倒したい!」みたいなこと考える信者ですら、最後はパットンに託せると考えたんですよ。
パットンにならこの国の未来を託せると(キモい)
結局主人公はランスじゃなくてパットンなのだったと思います。だからランスの行動を決める選択肢がなかった。何故なら、主人公はパットンなのだったのだから。
ランスとあんまり関係ないです。シュミレーションRPGについて。
……真面目な話今の時代シュミレーションRPGを作るというのは本当に難しいことだと思う。
おそらくみんなが(僕が)望んでいるのはSFCファイアーエムブレムやタクティクスオウガのような緻密な戦略性、キャラ性、自由性に富んだゲームなんだろうけど、今の時代それをやるのは無理なのだ。
すごい必殺技やCGドバドバー! とやらないと絵面が地味だから宣伝もしにくいし、売れない。そもそもチマチマ相手の移動距離と射程を計算して1マスづつ兵を並べていくようなゲームは今の時代誰も遊んではくれないだろう。
最近の若者は(自分も若者だけど)時間があったらソシャゲ、SNSの時代なのだ。コンシューマ、PCゲームなんてパッと遊んで面白さが伝わらなかったらすぐ投げ出してしまう。
だからこそ大味な範囲攻撃ドカーン、必殺技バシューンなシュミレーションRPGが乱造される。その方がインスタントに面白いから。某エムブレム新作もそのような出来だった。
しかし戦闘バランスを大味にするということはシュミレーションRPGが元来持っていた
「自分で戦略を考え、キャラを動かし、自分が育てたキャラが成長していく様に感情移入する」
という楽しみを奪うということに他ならないのだ。もう本当にシュミレーションRPGというジャンルは終わりを迎えているのではないだろうかとさえ思う。
確かに派手な技を使って魅力的なキャラクターが敵をなぎ倒していくさまは心地がいいだろう。私は無双系のジャンルも好きだから否定はしない。
しかしそれによって、SRPG特有の戦略を育成方針を決めて、そのとおりにいった時のあのとびっきりの快感、失敗した時の悔しさ、育て上げたキャラが活躍していく嬉しさが失われているのも確かなのだ。
シュミレーションRPGゲーマーはそれらの要素を心底敬愛しているものなのに。
もはやほぼ全てのシュミレーションRPGは大味な魔法、必殺技戦争となってしまった。全ての元凶はそう、SNSやソシャゲの台頭によって
現代人は1つのゲームをじっくり攻略するということをやらなくなっていった。
何か1つのことに、盲目的に熱中できる期間というのは長くない。多くは小学生から高校生の間に起こり、そして消えてしまう情熱だ。
その時代にどんな遊びに熱中したかで、人間というのは決まってしまうものなのかもしれない。
現代の若者の情熱はソシャゲに傾けられ、シュミレーションジャンルのようなじじくさいジャンルは時代の変化に取り残されてしまった。
誰が悪いとも何が悪いとも言わない。ソシャゲによって育まれる感性もあるだろう。
仲間と共に語り明かすのは楽しいだろう。全て時代なのだ。受け入れなければならない。
だけど、僕はその世界にあの緻密なシュミレーションRPGが存在しないという事実に、寂しさを感じてしまう。
僕は現代の若者に問いたい。余暇を楽しく過ごすためのゲームによって時間が奪われ、ゲームにさえも時間を惜しむようになってまでする「遊び」は本当に楽しいのか?
買ってすぐ投げ出してしまうような、そんな遊びのスタイルで本当にいいのか。
こんな時代だからこそ、時間という荒波に抗い、誠実にゲームと向き合うことが大切になると思う。
勿論つまらなかったら投げ出していい。それはプレイヤーの権利であり、現状、市場の大半を占めるプレイヤーの考えだ。
だけど、だけど今一度、ゲームという娯楽に対して、もう少し誠実になってほしい。
もう少しだけ、ゲームを見てやってほしい。それで見つかるものは必ずあるはずだから。
ところでなのはINNOCENTのなのはちゃん可愛すぎ。