2015/09/02

ランス03 クリア感想 ネタバレなし



いやー、待望の新作! わざわざ3400円の往復電車賃かけて日本橋のソフマップで買ってきましたよ。
特典付きなので9000円だったかな? そこに2000円のサウンドアルバムも買ったから計1万1000円+税込みかな?

まあ金出す価値があるかとかそういうゲームじゃないのでね、とやかくは言いませんけどね。
ハッキリ言ってミドルプライスのランス01の頃から進歩してたのはCGとシナリオだけだよね……。という話。


シナリオは良かったです。音楽は素晴らしかったです。CGは最高でした。
問題は戦闘システム。
全ての問題は戦闘システムに集約できる。

なんだこのユーザー馬鹿にしまくったクソみたいなゲームシステムはァー!!!!!


本当にプレイしてて嫌気がさした。
イライラだけが積もって爽快感は別にない。何が面白いのか全く分からない。
こんなシステムにするぐらいなら10年前のRPGツクールのデフォルト戦闘みたいなテンポも操作性もクソな戦闘システムの方がまだマシ。というかそっちの方がイイ!
それぐらい酷かった。

ボロクソに言っておいてなんだが、スタッフの意気込みややりたいことは何となく伝わった。攻撃対象の敵を任意選択ではなく、スキル依存にしたのは操作の煩雑さを少しでも省くためだし(実際あの戦闘システムで敵選択なんかしてたらプレイ時のイライラは完成形の比じゃない)、ダンジョンでの移動にしたって選択肢を絞り切ることで常に二者択一、三者択一をプレイヤーに迫っていく試み自体は面白いと思う。
試みは面白いと思うよ? ミドルプライスならね。

あの戦闘システムの何がダメかって戦闘の奥深さが全く無いんですよ。戦闘が一度始まってしまえばプレイヤーは手順を工夫するぐらいしかやることがない。
流れ作業ですよ。刺し身にたんぽぽを乗せる仕事をやってるような気分になる。

終盤はバイ・・ウェイのお陰でサクサク敵が倒せるようになって、そのイライラもなくなりましたけど、こんなのアリスソフトのゲームに、フルプライスのソフトに求めてるバランスじゃない。特に後半は大味過ぎる。


「ウワー、終盤になって敵が強くなってきたよー、アアーまたやられたーッ、クソがー!!!!」ってのが良好なゲームバランスだと勝手に思ってるのですが、ランス03の場合は「ああー、また死んだよ。あーあ今までの分やり直しかめんどくせーッ」って感じ。

前者が「手強い、悔しい」だとしたら、後者は「面倒くさい」って感じなのよさ。

分かる? なんでこうなってるか分かります?

戦闘に入ったらこっちの取れるアクションが少なすぎるからだよバカヤローーー!!!!!


 こういうプレイヤーの選択がほとんど結果に反映されない、初手の準備と運が重要になってくるゲームといえば、ランス5Dと艦隊これくしょんを想起してしまいますね。
ランス5Dは最初から看板の時点で運が全てと言い切っている清々しいゲームです。が、しかし実際は事前の準備も大事という、あるところはある作りになっています。
なので結局は運が全てとはいえ、失敗した時プレイヤーは己の運の悪さを呪うのではなく、事前準備の甘さを後悔するようになってます。だから運任せのゲームと言っても、ちゃんと「悔しい」を感じられるようになってる。

艦隊これくしょんは言わずと知れたクソゲーの中のクソゲーですが、事前準備の重要さが資材備蓄の時点で関わってくる上、敵の構成などは戦う前から(ネットを見れば)分かるので対策が戦闘前から立てられる。更に戦闘時自分は何も操作しなくていいので楽。
Twitter見ながら鼻ほじってるだけで戦闘が進みます。


旧版ランス3もかなり古い作品ですが、自動戦闘とはいえランスの行動選択はプレイヤーが選択可能で、その選択とCPUの自動戦闘の組み合わせが思いもしない戦闘結果をもたらすこともあり楽しい。またユニットが移動するフィールドが画一表示され状況が掴みやすく、中央に素晴らしい出来のグラフィックが表示されることでプレイしているだけで脳内妄想が膨らむような作品でした。

ま、流石に今やるとちょっと辛いけどね。ただその辛さはランス03ほどじゃない。


肝心のランス03は事前準備が重要なクセに敵の情報が戦うまで分からない上、肝心の戦闘がいちいちスキルを選択しなければならないのに、しかも不確定要素がクリティカル以外ほとんど関わらないし、当然プレイヤーはどのエネミーを狙うかなんて選択する権利を持っていないので、戦闘結果は戦闘開始の時点で決まっているようなもん。
しかもその煩雑な戦闘を飛ばすための自動戦闘機能は店売りの1回こっきりの消耗品…………。



はぁーーーっっ……… クソ過ぎるわ!!!!


勘弁して欲しい本当に。プレイ中何回「なんだこのクソゲー!?」と叫んだことやら。
音楽は素晴らしいしシナリオも良いのになんでこんな言葉を言わなくちゃいけないんだ。


着想はいいですよ。カードを選択してダンジョンを進んでスキル(チップ)で戦闘を行うっていう。ただ明らかにシステムの奥行きが足りないし、作りこみも感じられなかった。

とにかく戦闘がつまらない。出てくる敵が変わってもやってることは全部同じ。
もう少し敵ごとに個性をつけて変化を出してくれないと飽きる。飽きた。


最善手を考えさせようとしてるのは分かるんだけど、現状のシステムで最善手を選ぶメリットが少ない。そんなんしてるぐらいなら横からスキルバァーって選んで打ったほうが早いし強い。プレイヤーの工夫の余地が少なすぎるのは本当にダメダメ。

あとRPGの雑魚戦の醍醐味って、効率的な行動(最善手)を選択することで敵の数を効率的に減らし、敵から受けるダメージを減らし快適に道中を突破すること。だと勝手に思ってるのだけど、ランス03は集団戦時、敵の数を減らしても結局の最終的な手数は減らない(通称丁字戦法)ので戦ってて気持よくない。

最善手を選ぶメリットが少なすぎるので、結局脳筋ゴリ押しで苦労しながら進めるのが正解ということになる。
工夫をこらすことで楽に進めるようになるんだろうけど(例えば単体の敵マスが見えている時は通常攻撃のスキルセットにして、集団戦は全体攻撃のスキルを多めにつける)
それがあまりにも面倒過ぎる。またそうやって付けて行っても大して成果は得られない。

そんなんしてるぐらいなら横からスキルバァーって選んで打ったほうが早いし強い。プレイヤーの工夫の余地が少なすぎるのは本当にダメダメ。

しかもつまらなさは雑魚戦に限らない。
ボス戦も手前でセーブして死んで(たまに生き残って突破できたりする)、後は相手の能力に合わせてスキル選んで殴るだけ。

RPGのシステムとして完全に破綻してます。ADVの要素が強めかつ、ミドルプライスだったランス01ではまだ物珍しさで楽しめたけれど、今作の戦闘システムはどこを取っても面白さがない。

何度も繰り返しますが、戦闘に関しては面白いと思える要素が一欠片もない。




その他感想


・タイトル画面
この形式のタイトル画面はアリスソフトの短編作品やミドルソフトによく見られる形。ランス01もこの形式でしたね。
しかし私はこのタイトル画面が好きじゃない。理由は安っぽい印象が強いからです。
ランス01のようなミドルプライスならまだしも、ガッツリフルプライスの03でこのタイトル画面は正直拍子抜けだった。



・ミミックのシステム。この画像のように、一見しただけでは分かりづらいのですが、事前に確認すれば宝箱とミミックの違いがつくようになってます。
画像のやつは分かりやすい方で、宝箱によっては凝視しないと区別がつかないようなミミックが出てきます。
ミミックは非常に強力な上、倒しても経験値の旨みが全くないというプレイヤーにとって最悪のモンスターなので、序盤はホイホイ踏んでた宝箱も後半になると凝視を欠かさないようになります。
これはプレイヤーに変化を促す素晴らしい工夫なんじゃないかと。


・声優さん
全体的に素晴らしいキャスティングだったと思います。
これだけのキャラがいて違和感を受けるキャラがほとんどいないというのは本当にすごい。
強いて 言うなら志津香さんの声はもう少し低い方がいいとか、ランスの声がヤバいとか、まあそんな感じの個人レベルの引っ掛かりなので問題ないと思います。
それにしてもこれだけの声優さんを集めたのはすごい(2回目)

・音楽&シナリオ
文句なし。
ただロイヤルチェイサーを超える、盛り上がる曲がもう一曲は欲しかったかな。
個人的にはアイゼルのテーマアレンジの~サマヨウ~(読めん)がナンバーワンのBGMです。

・エロシーン
魚介さんのCGはとても素晴らしかった……。
特にイシスの強姦シーンとかロゼとダのシーンとか、ラストのジルとのシーンはテキストも相まって最高だった……
反対に和姦シーンは今ひとつだったかな。そもそもランスシリーズの和姦シーンで良いと思ったことがあまりないので、これはまあ僕個人の趣向の問題だと思います。

・戦闘中のボイス
「死んでもらうわ!」とか、「死ね!」とか、そういうボイスがちょっとキツイ。
こういうゲームをプレイしておいてなんだけど、僕はキャラがそういう死ね死ね言ってるのが好きじゃないのでちょっと辛かった。
今までの戦闘時の掛け合いはテキストだったから問題なかったけれど、ボイス化にあたってはそういう部分の配慮もお願いしたいです。

・操作性
ちょいちょいスキルを選択してSEが鳴っても選択が発生してないことがあって、そのせいで結構全滅したりもした。
この反応の悪さは擁護する隙間なくクソでしたね。



後なんかあった気もするけどまあいいや。



戦闘システムさえなんとかしてくれればかなり良質な作品に仕上がってたと思います。

戦闘システムがクソなのでもう二度とプレイはしません。
04を作るつもりならここらへんちゃんと作りこんで、奥深さのある戦闘システムを構築してくれないと困っちゃうよ、ホント。


2015/08/20

日常系という語が如何に最悪かについて

最近日常系アニメという言葉をよく目にする。言うほど最近でもないだろう。
どうやらこの言葉は劇的なアクションが起こらない日常を女の子たちが仲良くたわむれる様を描いた作品を指す言葉らしい。
はぁーっ……。本当に馬鹿馬鹿しいと思う。最悪すぎる。この言葉を考えた奴とそれを得意げに使ってるオタク共は全員今すぐ首を吊って死んで欲しい。
そもそもじゃあ何で僕がこの言葉を嫌いなのかというと、真実から言えばオタクが嫌いだからだ。分かるか? 分かってない奴に向けてこれから説明しようじゃないか。

それではまずは日常系アニメという語の非合理性からだ。これは言うまでもないだろう。意味がなさすぎる上に侮辱的だ。アニメをラブコメだ熱血モノだと分類する行為自体はまだ理解できるが(視聴者がどのアニメを視聴するかの判断基準になりうる為)、日常系とはなんだ? ええ?
僕の知ってる限りでは日常系とは「劇的なアクションが起こらない日常を女の子たちが仲良くたわむれる様を描いた作品を指す」言葉らしい。
しかしな、ハッキリと言わせてもらうぞ。そんな作品はこの世のどこにも存在しないんだよ。

けいおん!は等身大の女子高生の部活動を描いたスクールアニメだし(だからこそ更にリアルに接近していこうと試みた蛸壺屋がウケた)、GJ部は1人の高校生が大好きな先輩たちとの別れを受け入れられるようになるまでを描いた感動大巨編だし、らき☆すたは当時オタクへの風当たりが厳しい中でオタクの主人公がオタクじゃない友達と、オタクの友達と区別なく和気あいあいと生活するさまを描いて当時のオタクに勇気を与えてみせた。Aチャンネルは毎話何かしらのハプニングやイベントが起こり、それを挿入歌を流しながら気持ちよく乗り切ったり過ごすというミュージカル的な演出で平坦に見える日常を違う角度から照らしてみせた。のんのんびよりは田舎/都会の対比を軸にまだ物をあまり知らない少女たちがまだ見ぬ人や自然との出会いに心を煌めかせる様をギャグのテイストを中心に描いた作品だ。ご注文はうさぎですか?は依然の記事にも書いた通り、知ってるものや人が全くいない空間の中に1人で飛び込み、友達を得るというまさしく冒険活劇と言っても差し支えないような内容になっている。詳しくはリンク先を見ていただきたいhttp://burningmelodysection.blogspot.jp/2014/07/blog-post_8.html
 
ゆゆ式は言うまでもなく3人の「みんなをもっと楽しませたい!、楽しみたい!」という愛にあふれる強烈なエネルギーが生活に反映されてく様を描いた「今は楽しい!」という絵を我々は徹底的に見せつけられるわけだ。それを見た私は、その楽しい光景が自分のことのように感じて、嬉しくなってしまう。

ファンタジスタドールというアニメに「いつもみんな一緒」という曲にこんなフレーズがある。


なにか良かったこと チョットでもあったなら
心にしまわないで みんなで分ち合おう
嬉しい時 私たち喜んであげるよ














良い歌詞だ。本当に良い歌詞だ。
ファンタジスタドールというアニメを、いや少女たちの物語の全ての尊さを全身全霊で歌い上げている。有史以来かつてこれほどまでに人の心を打ち、また核心に迫った曲があっただろうか? いや、ない(反語)

そうなのだ、アニメの中のキャラクターが嬉しい、楽しい時、それを見ている私も喜ばしいのだ。
その「楽しい!」という猛烈なエネルギーを真摯に描いた大傑作アニメ「ゆゆ式」、BD絶賛販売&レンタル中。原作は大好評でまんがタイムきららに連載中。単行本はまんがタイムKRコミックスから既刊7巻が発売中だ!


話がそれた。記憶を少し前に戻してみて欲しい。先ほど私が例に上げた、俗に「日常系」と言われるアニメは当然ほんの一部だ。実に様々な物語がある。アニメの数だけ全く固有の史観があり、世界がある。当たり前だ。人間1人1人は全く固有の人生を歩み誰一人として同じ者はおらず、その全く固有の史観を持つ人間が新たにキャラクターを生み出すのだ。1つとして同じものがあってたまるか。私は全人間、全キャラクターの人生の固有性、独自性に敬意を払っているつもりだ。

しかし、しかしだ。あろうことか下賤で野蛮で幼稚で陰湿で悪質なオタク共はこれら全く1つ1つが異質の宝石のような輝きを放つ物語群を「日常系」の一言で封じ込め、「日常系とかみんな同じようなもんだろ? ツマンネーw」とか、「日常系は小動物を観察するような快感ガ~」とか、「まーた美少女動物園か。泥臭い作品ほんとなくなったよなーw」
等のような戯言をぶち撒いているのだ。正直言ってこれを書いてる時点でもう血管がプッツリいきそうだ。我ながらよく我慢したと思う。 さて叫ばせてもらおう。


人間を侮辱するのもいい加減にしろよクズ共ッ!!!
彼女たちは日々を懸命に生き、その固有の歴史に歩を進めている!!
それは綺羅びやかで、何者にも変えられない、見ているだけでこちらが笑顔になりそうな黄金の日々だ!
その日々を描いた作品を!  テメェらのような見もせずネットの雲散から拾っただけの価値の無い言葉で断定し、何かを否定して自分の価値観を肯定しようとするその薄汚い腐った根性!
何一つ固有の誇れるものを持たず! 人が一生懸命築き上げた物を馬鹿にして皮肉るしか脳がない貴様らに独自性もなければ固有性などありはしない!
ゴミだ! 真性のゴミクズだ!!
即刻くたばれ! 二度と口をつぐむな! わんこーる速報死ね

わんこーる速報死ね(大事なことなので二回言った)


話を戻そう。そもそも日常系に限らず僕は分類とかカテゴリー分けみたいなものが大ッ嫌いだ。何故ならそのレッテルをかざしてあることないこといい加減なことを分かった風にばらまく奴らが絶えないからだ。
ゼロ年代とかセカイ系とか日常系とか全部大嫌いだよ俺は。それにまつわる議論をする奴らも全部脳タリンのクソ野郎だ。
テメェらは時代だ分類だと論じる前に1つの作品と真摯に向き合え。その固有性を見出し賛辞しろ。何もかも分類でくくろうとしてるんじゃねぇぞ。


カテゴリー分け、レッテル貼りなら全部嫌いで、男だ女だ30億人以上いるもんを一概に括ろうとするケースの馬鹿馬鹿しさは言うまでもないだろう。
じゃあ30億人以下なら良いのかというと当然そんなことはない。
黒人白人黄人中国人韓国人だの朝鮮人だの学歴がどうの出身地がどうののレッテル貼りは全部くだらない馬鹿のお得芸だし、そんなこと多少なりとも常識なり良識がある人間はまずやらない。
さっきも言ったが別に人間の数の問題じゃなく、1人の固有の人生を共同体だのレッテルで人間性を決めつけようとする吐き気をもよおす邪悪さが癇に障る。

別に僕はそんな問題提起をしたいわけじゃなく、こういうクソくだらねぇゴミクズみたいな自意識を日常系だのセカイ系だのと言った言葉を使ってオタク界に持ち込んで悦に浸ろうとするゴミみたいなオタクがこの世には大勢居て、そういうクズの自意識が特にネットでは多く散見され僕の愛好する作品群が侮辱されていくのは辛いという話です。

分かったらさっさと日常系とかいう最悪すぎる語を、しかも差別的に用いるのはやめろ。
美少女動物園と揶揄して作品を馬鹿にするお前の姿は畜生の臓物よりも汚らしい。



こういうことを言うのはダメだと分かっててもあいつらは増長を止めないから仕方ない。

日常系アニメを30分見るのは辛いから5分アニメにして欲しいという意見に対してのツイートでした。

2015/07/24

シンデレラガールズ 妄想カバーセトリ

「シンデレラガールズの女の子たちにこの曲を歌ってもらいたい……」
誰もが一度はそんな妄想をしたことがあるだろう。
琵琶湖一周中にそんなことを考えた私はツーリングを放っぽりだしてセットリスト妄想にふけっていた。

GET THE WORLD(影山ヒロノブ)安部菜々


あべななさんじゅうななさい
という恒例のネタは置いておいて、安部菜々さんの実年齢は個人的には23~26歳だと思っていて、その年代にクリティカルヒットするであろうGET THE WORLDをチョイスしてみた。
安部菜々さんならおそらく一番手を切って全力で熱唱してくれるだろう。
僕はソニックセイバー派です


銀河旋風ブライガー(たいらいさお)赤城みりあ


ナレーションのカッコよさ、OPの作画レベルの高さ、本編作画の残念さで有名な銀河旋風ブライガー。
実はこのアニメ、日本で初めてナニのシーンが描かれた作品であり、そういう意味でも赤城みりあさんは適役なのではないだろうか。
世界は赤城みりあさんのはじめてのチュウのカバーを待っているぞ。


真夏のシューメーカー(THE PINBALLS)神崎蘭子


最初神崎蘭子さんの曲はWHITE ASHのCloudsにしようかと思ったのだが、アレは歌詞をあえて空っぽの意味不明にして、何も小難しいことは考えず雰囲気に浸ってくれ! という曲なので、ちゃんと世界観と向き合って考え込んだ上で自分の結論を曲に持っていった神崎蘭子さんにはそぐわないかな、と思った。
そうして白羽の矢を立てたのがTHE PINBALLSだ。
私はTHE PINBALLSのファンだ。
 

しかしこの真夏のシューメーカーも歌詞の意味が理解できるわけじゃない。ハッキリ言って何を言ってるのかサッパリ分からん。
しかし退廃的な情景と熱いパッションは伝わってくるのだ。
ちゃんと世界が「ある」曲なのだ。



アイスクリーム シンドローム(スキマスイッチ)渋谷凛


これに関してはあまり語る必要はないんじゃないだろうか。
私は渋谷凛さんがアイスクリーム シンドロームを歌っている光景を想像しただけでボロ泣きしてしまうので。


daze(じん ft. メイリア from GARNiDELiA)渋谷凛


えぇー、まず先に1つ。
散々メカクシティアクターズがクソアニメだ煽られましたけど私はそうは思いません。
確かにカゲロウデイズというコンテンツ自体はどうしようもないアホ中学生がハマる現実逃避コンテンツですけれども、カゲロウデイズはその現実逃避に極めて真摯に向き合っていて非常に好ましい作品群だと考えます。
アニメも曲の内容を聞いてキャラを知らないとストーリーがまるで理解できないという欠点はありましたし、作画のレベルは酷い。単純に物語として面白く無いという凄惨な有り様でありましたが、しかし、高校生たちが夏を過ごす物語として捉えた時、あの作品は光り輝くものであると信じて疑いません。
あとメカクシティアクターズの夏の描写は数あるアニメの中でもトップクラスなんじゃないだろうか。
そういう意味でも、夏感が満載された素晴らしいアニメだと思いますね。
バカには分からんでよろしい。


その代表的な曲がこのdazeでしょう。
つーかカゲロウデイズ言っといてなんですけど私はこのdazeぐらいしかまともに聞いたことがないのでdazeぐらいしか語れる曲が無いんですけどね(大爆笑)

意味がない意味深な詩から始まり、「最終話」「最終日」のようなコンテキストを知ってないと伝わりづらい語を持ってくる。
そこからは現実逃避オタクを焚きつけるような熱い歌になるという内容。まさにカゲロウデイズというコンテンツを体現している、カゲロウデイズそのものを表した曲だと言ってもいいでしょう(適当)



夢の恋人(NONA REEVES)本田未央


クッソ寛大なNSDR兄貴の紡ぐ優しく包み込むような浮遊感を与えてくれるメロディをちゃんと聞いて、たった1度の失敗でネチネチと粘着する未央アンチは感銘を受け首を吊りなさい。


劇場支配人のテーマ(THE PINBALLS)新田美波


再度THE PINBALLS。

ハマってるからしゃーない。
新田美波さんは落ち着いた曲よりも、やはりこういう退廃的でどこか熱い曲のほうが似合うんじゃないかと思いますね。

あっ、そうだ(唐突)
劇場支配人のテーマのFullが収録されたコンピレーションアルバム「ニンジャスレイヤー フロムコンピレイシヨン『忍』は7月22日に発売だゾ



砂塵の彼方へ(Revo & 梶浦由記 )LOVE LAIKA(アナスタシア&新田美波)


武内Pにも参加して欲しいですね


異邦人(久保田早紀)島村卯月


僕の中では異邦人といえば島村卯月さんのイメージしかないですね。
この原曲も久保田早紀じゃなくて島村卯月さんが歌っているんじゃないだろうか。

歌詞を鑑みると天海春香さんが歌っても似合いそうだ。
少なくとも蒼い鳥よりかは断然似合っている。


余談、中森明菜の異邦人カバーはやる気なさすぎで笑ってしまった。

ぶちぬけ!2008! (初音ミク doriko)緒方智絵里


正直シンデレラガールズ1期での緒方智絵里さんは影が薄すぎてどんなキャラかつかめず、どの曲が似合うのか悩みに悩んだ。
CANDY ISLANDの様なふわふわかわいい路線で行くか、蒼い鳥のような重い路線で行くかで迷ったが、最終的にはぶちぬけ!2008という、ふわふわしつつも突貫力のある曲を選んだ。
緒方智絵里さんにこの曲が似合っているかどうかはともかく、ぶちぬけ!2008を歌っている緒方智絵里さんはカッコいいんじゃないだろうか。
間違いなくカッコいいと思う。


DAYS(FLOW)*(Asterisk)(前川みく&多田李衣菜)







風の辿り着く場所(彩菜)双葉杏



kanonのEDとして有名な名曲。

名曲……なのだが、この曲には罠がある。
それは後半で挿入されるラップ。これが意味の分からない英語の歌詞を高速で歌わなければならないという異常な歌唱難易度を誇っており
「ヨッシャー、kanonのEDでも歌うかーw」と軽い気持ちで挑んだオタクの面をへし折ってくれる。
このラップが歌えないとオタクは実に恥ずかしい思いをするのだ。
このラップが歌えるオタクはオタク内カーストの頂点に立つのだ。
歌えるようになるのは結構が骨が折れるが……。

しかし、アイドルマスターシンデレラガールズには我らがラップ女王双葉杏さんがおられるので、この難しすぎるラップパートも見事に歌唱してくれるだろう。

ちなみにこのラップ、素材集からの引用を挿入しただけである。
ラップ内の歌詞の意味も当然無い。kanonと関係があるわけでもない。
エロゲメーカー黎明期に相応しい実にほっこりするエピソードです(適当)

赤いスイートピー(松田聖子)三村かな子


「大坪由佳さんが赤いスイートピーを歌ったら絶対オタクが死ぬよな」
というようなことは常に考えていて、今回それを妄想で実現した形だ。

ハッキリ言って大坪由佳さんに赤いスイートピーを歌ってもらいたいだけなので、三村かな子さんとは何の関係もない。そういうこともある。

虹を待つ人(BUMP OF CHICKEN)城ヶ崎美嘉


Truly(PASSPO☆)城ヶ崎莉嘉


待つわ(あみん)赤城みりあ&城ヶ崎莉嘉


ノーコメント



キミに負けないように(星山澪)高垣楓


「武内Pは元高垣楓のPだった説」を採用するとこの曲になるんじゃないだろうか

高垣楓さんは意外とグランダー武蔵が好きなのかもしれない。
そういう部分に萌えを感じる。


balance unbalance ~ホントウ ノ ワタシ~(三森すずこ)諸星きらり


諸星きらりさんに対しては整理の付けようのない情念があるのでノーコメント


空想ルンバ(大槻ケンヂと絶望少女達)CANDY ISLAND(双葉杏+三村かな子、緒方智絵里)


大槻ケンヂと絶望少女達はCANDY ISLANDに合うな、というのは前々から考えていた。
しかし大槻ケンヂと絶望少女達と言っても結構な曲数がある。
そこでピーンと来たのが空想ルンバの「安い値をつけやがって、解き放つぜ」という歌詞。これが実に双葉杏さんらしい。

あと「いえいえアナタとセットは嫌じゃ」と歌う緒方智絵里さんを想像したら興奮した。


Give a reason(林原めぐみ)アナスタシア


アナスタシアさんの林原めぐみ感は異常。

Give a reasonはスレイヤーズNEXT後半の展開も相まって大好きな曲ですね。

愛情・情熱・熱風(北原沙弥香)多田李衣菜


イナズマイレブンGOダーク は決して素直に褒められたゲームではないのですが、EDのこの曲で大号泣したので全てを許しました。
これからイナズマイレブンGO を遊ぼうとする人は是非ダークをオススメします。
アニメは明らかに1シリーズ3期から製作陣の自転車操業感が伝わってきて辛かったですね。
1シリーズ1期は否定の余地がない屈指の名作なので是非見て欲しいですね。


回レ!雪月花(歌組雪月花)凸レーション(城ヶ崎莉嘉、諸星きらり、赤城みりあ)


Shining☆Star(田村ゆかり、能登麻美子、釘宮理恵)new generations(島村卯月、本田未央、渋谷凛)












みんな快盗天使ツインエンジェルを見よう


2015/07/14

園部のこむぎ山

その日私はクマチャッピー号で琵琶湖一周をするつもりだった。
朝から支度をし、さあ行くぞと意気込んだその時あるニュースが飛び込んできた。


何もする気がなくなった。

岩田さんは僕が大尊敬する人だった。開発者として、経営者として、キャラクターとして、そして人間として、素晴らしい人物だった。
岩田さんが居なければ今の任天堂やHAL研究所はありえないし、現状のゲーム業界もなかった。
現在、毎月毎月おびただしい数の、クオリティの高いソフトが発売され続けユーザーに供給されているという現実はなかった。
私達が当たり前のように呼吸しているゲームという酸素を産みだした方でした。本当に惜しいし、悔しい。
何に怒るでもないし怒れるものでもないけど、何かを許せないという感情ですよ。ただただ信じられないし、泣けば泣くほど事実を認めてしまった気になってしまって余計に腹立たしい。
琵琶湖一周なんかとても出来る気分じゃない。
そうやって何もせずに項垂れていて、唐突に思った。

「そうだ、園部のこむぎ山へ行こう」

別に気が狂ったわけではない。



説明しよう! 園部とは京都西北部に存在する町で、かの有名な宮本茂氏の生まれ故郷なのだ!

氏は2001年のインタビュー(http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/tanba/08.html)でこう答えていた。

ゲーム制作に携わるようになって、どんな角度でマリオがこけたりするか、どうやって跳んだりはねたりするか。アリのようなピクミンがどのように行動するかは、自分自身が身をもって体験したこむぎ山での思い出が原点です。


このインタビューを読んでから、私は漠然と「この、こむぎ山に行きたい」と考えていた。本当に漠然とね。なんとなく行けたらいいなって。そして、今回の岩田さんの訃報。
時が来たと思った。



















クマチャッピー号を飛ばして園部へ向かう。大津まではバイクで飛んだが、そこから京都駅~園部までは電車で行くことにした。
その方がなんとなく良いと思った。
京都駅から園部までは14駅、べらぼうに時間がかかる。言い忘れていたが園部はド田舎なのだ。
その間私は岩田さんがこれまで受けてきたインタビューや社長が訊くを読み直していたんですが、やっぱり再確認ですよね。
こんなに素晴らしい人がいたんだなって。こんなにもゲームのことを考えていて、ハードゲーマーのことも”分かって”いる方だった。何せ自身が自他ともに認める筋金入りのプログラム中毒者なのだ。
だけど、コアにゲームが好きな人の感情を分かりつつも、ゲームに造形の薄い人たちにどうすればゲームが楽しんでもらえるのか? ということを試行錯誤し続けてた。何度でも繰り返すが本当に素晴らしい方だ。
やがてその苦心は実を結びDS、Wiiの歴史的ヒットへと繋がるわけですね。

ちなみに電車で読んだ記事はこんな感じ。一部ではあるけど

http://www.1101.com/nintendo/wiiu_talk/2012-12-20.html
http://www.nintendo.co.jp/ds/interview/axbj/vol1/index.html
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20121009/244633/


あとTwitterなんかでも続々と流れてくる生前の偉業やエピソードを楽しく読んだりしてた。


この話は初めて聞いた。本当に凄い人だったんだなぁ。
そうこうしていると園部についた。途中事故もあって50分くらいかかったけど、そんなことも感じないぐらい一瞬だった。


こういう人の言葉だからこそ時間が一瞬で過ぎていったんだろう。

さあそうやって着いた園部ですがまあド田舎でしたね。
見たい人はグーグルストリートビューで見ればいいんでね。
そこからしばらく歩く。
文字にすれば「しばらく歩く」の一言で済むけど、実際は20分近く山沿いの急勾配を大日射に照らされながらの行軍でした。いや~キツイっす(素)





















ようやく辿り着いた園部公園がコレ。城は城下町の名残で確か今は中学校だかになってたはず。すげぇよね城が学校になってるって。
この奥にこむぎ山がある。



















公園に入ってからは全力ではしゃぎました。
そもそも今回の園部訪問の目的は「子供のようにはしゃいで遊んで、宮本さんの幼少期を追体験する」というものだからだ。
実際に追体験出来るのかどうか、したところで何の意味があるのかとかそういう考えは一切無視してはしゃぎまくった。公園を全力疾走してこむぎ山を駆け上った。



















後はまあ、山の中に神秘的な神社があって、そこでカミサマ的なアレに話を聞いてもらったりした。こんなん人に話すようなことじゃないけど、少し楽になった気はしましたね。

そこでね、こむぎ山を走り回ってて気付くんですよ。
「あっ、これって任天堂だ」って。
正しく言えば「優れたゲーム」だなって、思いましたね。

まず動いてるだけで楽しい! これはゲームの一番根本の部分にある快楽装置だと思う。マリオとかそうだけど、クリボー踏めたら楽しいし、ステージクリア出来れば嬉しいんだけど、それより一番手前に「マリオが動くだけで面白い!」って感情があるんですよね。ゲームを進める内に忘れてしまいがちな思いだけど。そういうのを再認識した。

後は「道の作り方」
これは本当に上手いと感心した。














これはその説明をするために撮った写真ですけど、頂上に行くために色々なルートがあるんですね。
舗装された勾配の少ない坂を渡ってもいい、急な階段で登ってもいい、そして↑の写真のように、道のないところを駆け抜けて登ってもいい。
ここらへんが本当によく出来ていて、道のないとこでも「動ける、走れる」ようになってるんですよね。
普通道を作ったらそれ以外の場所は整備しないと思うんですけど、驚くことにこの山は全てが道になっている。
お婆ちゃんお爺ちゃんは坂を歩けばいいし、若者は階段を登ればいい。子供は何もない傾斜を駆け上っていい。一つの山というコンテンツに対して様々なアプローチの方法があって、そのどれもが楽しい。
これは……だから、任天堂の理念そのものであり、任天堂が作ってきたゲーム自身ですよね。


この山だけじゃない。園部という町全体が素晴らしい町だった。
さっき言ったように山は子供が遊びやすく、かといってヌルく作るわけでもなく、「必要最低限の整備を全体に施し万人が思い思いの楽しみ方が出来るようにする」という施政がとられている。
園部公園も美しく、また立派な建物が建ち並ぶ美しい公園だった。


















園部は良い町でした。また来たい。何度でも園部に訪れたいなと。
そのたびにこむぎ山ではしゃいで、町でゆっくり休んで、園部という町をもっと愛せるようになれば良いと思う。



ここまでがどうでもいい話。

ここからが更にどうでもいい話。

 
僕はカミサマにお話聞いてもらう代金を払うことにしてるんですね。俗に言う賽銭というやつで。
いつもそれは1円とかなんですけど、流石に今日ばかりはどうすっかなぁ、それじゃダメかなぁと思って、1円と5円どちらを出すかで悩んだんです。
ナンバーワンの1円か。
ご縁がありますようにの5円か。

僕が選んだのは10円でした。何故10円を選んだのかというと、皆が俺は2だ! 俺は1だ! と争っている中で、僕は10だよ。と言える人間になりたいと思ったからです。
これって任天堂の理念と一致していて、マシンパフォーマンス争いや価格競争の先に待っているのは緩やかな市場の消滅しか無いんですね。
だからこそ任天堂は価値を埋没させないために、「2画面」「wiiリモコン」「裸眼立体視」「ゲームパッド」という独自の強みを次々と打ち出していった。
つまり任天堂は1か2か、の争いをしている市場に10で殴りこみをかけることで栄光を手にしたのだ。
しかし数字が多ければ良いというものではない、ハイパフォーマンス化だけに囚われればハードの価格が際限なく上昇し、あまりゲームに馴染みのないライトユーザー離れが進む事態となるだろう。100円や500円、1000札で参入すればいいというものではないのだ。
「枯れた技術の水平思考」ではないが、ある種挑戦と保守。というバランス感覚がハードには重要なのだろう。岩田さん、及び任天堂はそのバランス感覚に非常に長けていたからこそ、新しいことに次々と挑戦し新規プレイヤーを開拓つつも、従来のユーザーの心も鷲掴みにするという離れ業が出来たのでしょう。
私もそんな任天堂のように、1番か2番かなどという些事に囚われず、独自の長所を貫ける人間になりたい。そういう思いを込めて10円玉を賽銭に入れました。

嘘です何も考えてません。


更に更にどうでもいい話

僕はご冥福をお祈りしますとかいう言葉が嫌いで、もっと言えばこの言葉を使ってる連中が嫌いだ。なんだよご冥福って。お前自分の思いでその言葉を考えたのかよ。
周りが言ってるから自分も言ってるだけじゃねぇかよ。そういう安易さが目に透ける。

 それから今回の件を気にまとめブログがボロクソに叩かれてるけど、それはもうどうでもいいかなって思う。「人の死をキッカケに何か悪い者を叩こうとするのは不粋だ」という旨のツイートを見てから、なんかそうだなって思った。

それから生前岩田さんと深い親交があって、親友とも言える中のほぼ日刊イトイ新聞の見出しなんだけどそれがコレ





なにが「コンテンツ」だよ。人間をなんだと思ってるんだ。

まあそれはどうでもいい。そもそも僕がなんでこんな小さいことに噛み付いてるのかって話になると、僕は糸井重里とかいう野郎が大ッ嫌いなんですよね。特に面白くもないくせにでしゃばってきては偉そうなこと言って(聞いて)悦に浸ってる。ゲームなんざ大して知らないのに偉そうに語ってくる。それ以外の分野にしたって専門外の領域に平気で「おれ知ってますけど?」みたいな面で解説しだす。本当に不愉快ですね。
まあそれとは関係なしにあの生理的に無理な顔面と何でもかんでも比喩に結びつけようとする大衆サマへのサービス根性とキッショイキッショイバカポエムが大嫌い。

人間として一番無理な位置におる人種やと思う。糸井里里とかいうアホは。
そもそもこんな奴の言うこと聞いて「へぇ~」みたいなことを少しでも思う奴は自分の視野の狭さに気づいた方がいい。コイツの話は岡田斗司夫と同じだよ。
人があんまり知ってないニッチな知識を全く関係のない話題にサモ当然の前提知識であるかのように持ち出してきて、人を感心させてから脱線しまくった正論染みた持論を語る。
すると議論の対象になってるものとは何も関係のない話をしているのに、「この人の言ってることは深くて正しい」みたいな錯覚に陥る。
もう本当に不愉快でしかないね。コイツもそれに釣られる奴らも。そもそも~(ここから人格否定が1時間ほど続く)

岩田さんと深く親交があった、いわば親友であり戦友ということなので、まあ深くは批判しませんけどね。いつか岡田斗司夫みたいに化けの皮が剥がれる時は来るので一々僕が言う必要ないわけですよ。

こんだけべらべら語って何が言いたかったのかというと、「コンテンツ」という紹介の仕方は目障りだということですね。


で、僕はこのブログを書くために糸井重里のTwitter、あるいはほぼ日の追悼ページを見てるんですね。
http://www.1101.com/readers/2015-07-14.html

そうしたらこういうね、自分語りが延々と続くわけですね。このポエム自分語りを読んでどう感じるのかは人次第だと思うけど、少なくとも僕はこいつらから人の死を自分語りポエムの機会として消化しようとするような薄汚い根性を感じてしまう。
こいつらを人の死を利用して自分語りを始める自己陶酔が大好きなオシャレさんと思うわけで、糸井重里が気に食わない事も含めそういうことに腹を立ててるわけです。




人が死ねばポエムが書けるぞ

2015/06/27

劇場版ラブライブをボロクソにけなす記事



ラブライブ! The School Idol Movie

















本当に酷い出来だった。俺はあの瞬間間違いなく地獄を見ていた。
ゴミの山に執拗に泥を塗りたくったらこういう物が出来上がるのかという感じ。
テーマとしてはタイトルにあるようにスクールアイドルの素晴らしさを伝えようということなんだろうけど、そもそも1期2期通して劇中にアライズとミューズの2組しかスクールアイドルが出てないのに何がスクールアイドルの素晴らしさなんですかね。
俺はミューズとアライズしかスクールアイドルを知らねぇよ。
もしかしてこの脚本家はラブライブがガルパンの様に様々なスクールアイドルと戦いを繰り広げながら親交を深める物語だとでも思ってたんだろうか。
そう思いながらスタッフを調べたら1期2期の脚本を務めた花田十輝だった。なるほどね。

ラブライブの演出志向として、ライブの観客を描かない、ライブの装置(スピーカーやマイク)を描かない、ある種幻覚演出的なアレが多用されるんですが、空港から帰ってきてファンに囲まれてるのにライブを見てたファン、TV放送を見てたファンを一切描かないのは惨めなぐらいお粗末。
この演出を意図してやってるというのはちょっと考えたくないですね。
そもそもラブライブってこの「ファン」の扱い方が非常にぞんざいで、「どうやらミューズの人気が出てきたらしい」という情報をネットの再生数だとか学校でチヤホヤされるだとかそういう方向でしか表せてないんですよ。本当に馬鹿なんじゃないか。あと女しか居ない。視聴者である俺の立ち位置がない。
「ミューズの9人の視点」ということならそれこそファンを描かないのはおかしいのであってね、まああの9人にとっては、自分と自分の周りの人間が大事でファンなんかどうでもいいということなんでしょうけど。そういう意味で彼女たちがスクールアイドルにこだわる意味は分かる。

対立煽る訳じゃないが「AKB0048」、「アイドルマスター」ではこのファンの描き方ってのをすごく繊細に、丁寧に描写して向き合ってるんですね。AKB0048では丁寧にアンチの存在まで描いていて、アンチとどう接するか。というところまで踏み込んでいた。
そして我々はアイドルマスター18話を永遠に忘れないだろう。












そういう素晴らしい作品群を見てると本当にラブライブがファンという存在から目を逸らしてるのが分かる。
逆にこの雑な方針が活かされたのがラブライブ1期3話で、この頃は3人しかメンバーが居なくてファンなんて誰も居なかったからこそ3人だけで歌う、観客はほとんど居ない初ライブがすごく感動的に写ったんですね。俺はボロ泣きしたよ。
それ以降はまあお察しですが。
幻覚演出も僕は最初「ミュージカル的な演出なのかな?」と思ったんですけど全然そうじゃないし、どうやら単にライブをやっているだけらしい。劇場で見てる時俺は何でこんなミュージックステーションで流れてそうなPVモドキを見ないといけないんだ……とずっと自問自答していた。
ライブシーンが本当に楽しくない。
そもそもライブの魅力ってクソデカいスピーカーとか、絶叫するファンの姿があってこそなんですよ。それ省くってことは単純に口パクの訳わからんPV撮る気しかないってことでしょう。そんなのYouTubeでいくらでも見れるわ。
幻覚演出を使うなら車の上に半裸で乗って深夜高速を爆走するぐらいはやってくれないと絵的に面白くない。











別にラブライブに半裸で車の上に乗って爆走しろと言っている訳ではない。
 

ライブに関しては3DCGの切り替え方がチグハグ過ぎて見てられない。違和感しか感じないし何なら1期アニメOPの方がまだ違和感が少ない。あと3DCGはロングショットで9人が同じ動きをするぐらいにしか使われたなかったし、全然迫力がない。
大きい動きをさせるためのCGじゃなく、作画の労力を節約するためだけのCGでしたね。そんなに作画節約したいならアメリカの背景でも写してそれっぽい絵にしとけや。
まあここは劇場版アイドルマスターでもミスってた部分でもあるし難しんだろうけど。
 そんな感じで、何も考えずにライブ作ってるんだなということだけがヒシヒシと伝わってきたライブシーンでしたね。

ちなみに3DCGといえばストライクウィッチーズというアニメが世界最高峰の切り替えの上手さを披露してくれるので是非皆さんストライクウィッチーズ見ましょう。


あと曲ですが俺好みじゃない。
という言葉で済ますにはあまりにも不備があると思う。
そもそも1回聞いただけの曲にそない感情なんか抱けるかボケ言う話しでね。
アニメのOPとかEDは何故魅力的に感じれるのかというと何度も何度も聞かされるからですよ。1回聞いただけの曲に思い入れは持ちにくい。

ここらへんアイドルマスターが良い見本だと思う。まず作品が始まるとテロップと共に聞き慣れたTHE IDOLM@STERが流れてくる。聞き慣れた、何度も聞いた曲だから当然観客のテンションはブチ上がる。俺はこの時点で泣いている。そして途中で挿入されるラムネ色 青春。吹き抜ける風のような気持ち良いメロディと共に合宿を楽しむアイドルの姿が映しだされる。ああ、最高だ。あと水着。
オタクは水着を見るとテンションが上がるし、挿入歌が流れるとテンションが上がる。このダブルパンチを序盤で放ってきたのは本当に凄まじかった。
そしてなんと言っても主題曲であるM@STERPIECE。このM@STERPIECEは最終盤を彩る曲なんですが、実は序盤の内にインストゥルメンタルという形で何度も何度も流されるんですね。
だから終盤でこの曲が流れてきた時、「初めて聞く曲なんだけど、聞いたことある!」という現象が起きる。いやぁ劇場版アイドルマスターは本当に凄かったですね。

閑話休題
このようにアイドルマスターは初めて聞く曲でも視聴者が楽しめるようにありとあらゆる工夫がこらされていたんですが、ラブライブはそういうフォローが全く無かったので、そもそも曲の良し悪しを語る域に達してない。

ちなみに最後のライブの脇マンコはヤバい。映画館でチンポ出そうかなと迷ってしまった。
アレ見るためだけに複数回通う人の気持ちは分かる。



シナリオに関してはもうアレでしょう。キツイ。
ちょっとだけ映画けいおんに構成が似てるとなとは思ったけど、細部でありとあらゆる面でのクオリティが違いすぎるので対比にすらならん。 
スクールアイドルの素晴らしさ云々言っておいて出てきたスクールアイドルが全員モブ顔ってなんやねん。
本気でブチギレそうになった。お前スクールアイドルの素晴らしさ伝える気ないだろ、と。
「スクールアイドルみんなで作るライブ」と銘打ってるのにミューズが終始中央に収まってるのはもはや笑えるレベルだ。スクールアイドルみんなで作る(ミューズの)ライブでしたね。劇場で終始頭を抱えるはめになった。

細部を突くと「叶え!みんなの夢!」というキャッチコピーなのに誰も夢に挑戦しないし、そもそも夢の存在が描かれない。誰の夢も叶わない、顔が良い女子高生がイチャイチャしてみんなにチヤホヤされるだけの映画なので、顔が良い女子高生がイチャイチャしてみんなにチヤホヤされる映画が見たい人は楽しめるかもしれない。

ちなみにこのイチャイチャの部分も僕は大嫌いだ。劇中で数回ほど顔に唇近づけてルージュブワァッ!みたいなシーンがあるんですけど本当に下品でイヤになりますね。
アニメのキャラのルージュに需要はあるのか。国民の民意が問われる。
途中でかよちんが突然泣きだして、ご飯食いてぇーーー!って叫ぶシーンがあるんですけど、僕はそのシーン、ああ、かよちんどうしたんだろう、何かイヤなことでもあったのかと本気で心配したのにご飯食いたいだけでしたという茶番オチ。
いや真面目にね、冗談でキャラクターに泣き声出させるべきじゃないんですよ。映画館だと声が響いてビクッ、ってなるし、こういうの繰り返してるとクライマックスでキャラクターが泣くシーンすらもギャグに思えるじゃないか。
とか思ってたら最後までキャラが泣くシーンはありませんでした。なるほどね。

キャラクターの扱い方についてだけど、割りと満遍なく色々なキャラのCPが試行出来るように描写を組んでてそこだけは唯一評価できる。
劇中でのファンはすごく雑に扱うのに、視聴者のオタクにはしっかり媚を売るんですね(笑) とか思ったりはしないでもない。
ちなみに「1つの劇中でほぼ全てのCPを試行する」という試みは「ゆるゆり なちゅやちゅみ!」という映画がとんでもないクオリティでやってのけてます。


ことりとかいうクソ女の母親の描き方も酷かった。ミューズ存続を問うシーンで、「みんながこう思ってる」「みんながこう望んでる」という話をするばかりで自分の意見が言えてない。しっかりするべきはずの大人を無能に描いておいて主人公たち子供を苦悩させるシナリオには正直不快感しか覚えない。



あとはーーー……星空凛さんがすごく可愛かったですね!!!!
僕は高坂穂乃果さん派でまあ凛さんは今まで割りとどうでもよかったんだけど、何故か異様に星空凛さんの所作にだけ異様に力が入っていた。何なんだこれは。
序盤から終盤までとにかく異様に星空凛さんの作画は動くし可愛い。
そして何より声優の演技がズバ抜けてましたね。

正直ラブライブの声優って全員下手だし音響担当もまあ能なしなんやろうなみたいな演技しかしないんですけど、 星空凛さん役こと飯田里穂さんの演技だけがズバ抜けてキレッキレで上手くて、他の声優陣の下手さも相まってとても魅力的だった。

ちょっとここでラブライブの声優の演技について語ろう。
ラブライブの演技は基本的に典型的なアニメ調で、チヤホヤされて調子に乗った女共がクソ高い声で騒いでそれで更にチヤホヤされるという、アレに近いアレなんですけど、まあ僕はそういうの嫌いじゃないんですよ。
ただラブライブのそれはあまりにも品がなさすぎる。うるさいし不快。
けど声優のラインナップ見ると確かにアレな人も居るけど三森すずこさんとかてーきゅうとかでは素晴らしい演技を披露しているし、声優に問題があるわけじゃないんですよね。単純に音響担当の奴の演技指示が無能なんだと思う。




















萌えアニメといえばさっき言った感じのアニメ調の演技が主流だったんですが、最近それは変わりつつあると思う。中でも代表的なのが「響け!ユーフォニアム」で、ジョイナスと呼ばれるキャラクターが中日ドラゴンズの指揮をとりながら陰茎を露出するアニメなのだが、主人公の久美子の演技がとんでもなくヤバいんですよ。
こればっかりは言っても伝わりにくいので実際に見て確認して欲しい。普段はアニメ調の演技なんだけど、シリアスなシーンや気を許してる、どうでもいいと思ってる相手の前では素に近い声になる。
この落差が実に甘美だ。本当に素晴らしいと思う。
こういうのは他のアニメでも顕著で(例をあげたらキリがない)、とかく今の時代のアニメでキャンキャン騒いでるだけの女キャラってのは居なくて、大抵「表」と「裏」の二面性を持った演技を使ってる。
ラブライブがダメだと思うのは悩んでるシーンとかシリアスなシーンでも声優が演技のトーンを変えないことですね。音楽を題材にしてるクセに声という音を演出に使って行かないでどうするんですかね。
ちなみに星空凛さん役の飯田里穂さんだけがこの2面演技をやってました。とんでもねぇなと思いましたね。


こんな感じに劇場版ラブライブはとても酷い映画なので皆さん見に行ってケチョンケチョンに叩こう! ラブライブを馬鹿にしよう! ほのにこ同人誌を買おう! 違法ダウンロードをやめよう! C3部を見よう!


















 以上ラブライブアンチよりお送りしました