どうやらこの言葉は劇的なアクションが起こらない日常を女の子たちが仲良くたわむれる様を描いた作品を指す言葉らしい。
はぁーっ……。本当に馬鹿馬鹿しいと思う。最悪すぎる。この言葉を考えた奴とそれを得意げに使ってるオタク共は全員今すぐ首を吊って死んで欲しい。
そもそもじゃあ何で僕がこの言葉を嫌いなのかというと、真実から言えばオタクが嫌いだからだ。分かるか? 分かってない奴に向けてこれから説明しようじゃないか。
それではまずは日常系アニメという語の非合理性からだ。これは言うまでもないだろう。意味がなさすぎる上に侮辱的だ。アニメをラブコメだ熱血モノだと分類する行為自体はまだ理解できるが(視聴者がどのアニメを視聴するかの判断基準になりうる為)、日常系とはなんだ? ええ?
僕の知ってる限りでは日常系とは「劇的なアクションが起こらない日常を女の子たちが仲良くたわむれる様を描いた作品を指す」言葉らしい。
しかしな、ハッキリと言わせてもらうぞ。そんな作品はこの世のどこにも存在しないんだよ。
けいおん!は等身大の女子高生の部活動を描いたスクールアニメだし(だからこそ更にリアルに接近していこうと試みた蛸壺屋がウケた)、GJ部は1人の高校生が大好きな先輩たちとの別れを受け入れられるようになるまでを描いた感動大巨編だし、らき☆すたは当時オタクへの風当たりが厳しい中でオタクの主人公がオタクじゃない友達と、オタクの友達と区別なく和気あいあいと生活するさまを描いて当時のオタクに勇気を与えてみせた。Aチャンネルは毎話何かしらのハプニングやイベントが起こり、それを挿入歌を流しながら気持ちよく乗り切ったり過ごすというミュージカル的な演出で平坦に見える日常を違う角度から照らしてみせた。のんのんびよりは田舎/都会の対比を軸にまだ物をあまり知らない少女たちがまだ見ぬ人や自然との出会いに心を煌めかせる様をギャグのテイストを中心に描いた作品だ。ご注文はうさぎですか?は依然の記事にも書いた通り、知ってるものや人が全くいない空間の中に1人で飛び込み、友達を得るというまさしく冒険活劇と言っても差し支えないような内容になっている。詳しくはリンク先を見ていただきたいhttp://burningmelodysection.blogspot.jp/2014/07/blog-post_8.html
ゆゆ式は言うまでもなく3人の「みんなをもっと楽しませたい!、楽しみたい!」という愛にあふれる強烈なエネルギーが生活に反映されてく様を描いた「今は楽しい!」という絵を我々は徹底的に見せつけられるわけだ。それを見た私は、その楽しい光景が自分のことのように感じて、嬉しくなってしまう。
ファンタジスタドールというアニメに「いつもみんな一緒」という曲にこんなフレーズがある。
なにか良かったこと チョットでもあったなら
心にしまわないで みんなで分ち合おう
嬉しい時 私たち喜んであげるよ
良い歌詞だ。本当に良い歌詞だ。
ファンタジスタドールというアニメを、いや少女たちの物語の全ての尊さを全身全霊で歌い上げている。有史以来かつてこれほどまでに人の心を打ち、また核心に迫った曲があっただろうか? いや、ない(反語)
そうなのだ、アニメの中のキャラクターが嬉しい、楽しい時、それを見ている私も喜ばしいのだ。
その「楽しい!」という猛烈なエネルギーを真摯に描いた大傑作アニメ「ゆゆ式」、BD絶賛販売&レンタル中。原作は大好評でまんがタイムきららに連載中。単行本はまんがタイムKRコミックスから既刊7巻が発売中だ!
話がそれた。記憶を少し前に戻してみて欲しい。先ほど私が例に上げた、俗に「日常系」と言われるアニメは当然ほんの一部だ。実に様々な物語がある。アニメの数だけ全く固有の史観があり、世界がある。当たり前だ。人間1人1人は全く固有の人生を歩み誰一人として同じ者はおらず、その全く固有の史観を持つ人間が新たにキャラクターを生み出すのだ。1つとして同じものがあってたまるか。私は全人間、全キャラクターの人生の固有性、独自性に敬意を払っているつもりだ。
しかし、しかしだ。あろうことか下賤で野蛮で幼稚で陰湿で悪質なオタク共はこれら全く1つ1つが異質の宝石のような輝きを放つ物語群を「日常系」の一言で封じ込め、「日常系とかみんな同じようなもんだろ? ツマンネーw」とか、「日常系は小動物を観察するような快感ガ~」とか、「まーた美少女動物園か。泥臭い作品ほんとなくなったよなーw」
等のような戯言をぶち撒いているのだ。正直言ってこれを書いてる時点でもう血管がプッツリいきそうだ。我ながらよく我慢したと思う。 さて叫ばせてもらおう。
人間を侮辱するのもいい加減にしろよクズ共ッ!!!
彼女たちは日々を懸命に生き、その固有の歴史に歩を進めている!!
それは綺羅びやかで、何者にも変えられない、見ているだけでこちらが笑顔になりそうな黄金の日々だ!
その日々を描いた作品を! テメェらのような見もせずネットの雲散から拾っただけの価値の無い言葉で断定し、何かを否定して自分の価値観を肯定しようとするその薄汚い腐った根性!
何一つ固有の誇れるものを持たず! 人が一生懸命築き上げた物を馬鹿にして皮肉るしか脳がない貴様らに独自性もなければ固有性などありはしない!
ゴミだ! 真性のゴミクズだ!!
即刻くたばれ! 二度と口をつぐむな! わんこーる速報死ね
わんこーる速報死ね(大事なことなので二回言った)
話を戻そう。そもそも日常系に限らず僕は分類とかカテゴリー分けみたいなものが大ッ嫌いだ。何故ならそのレッテルをかざしてあることないこといい加減なことを分かった風にばらまく奴らが絶えないからだ。
ゼロ年代とかセカイ系とか日常系とか全部大嫌いだよ俺は。それにまつわる議論をする奴らも全部脳タリンのクソ野郎だ。
テメェらは時代だ分類だと論じる前に1つの作品と真摯に向き合え。その固有性を見出し賛辞しろ。何もかも分類でくくろうとしてるんじゃねぇぞ。
カテゴリー分け、レッテル貼りなら全部嫌いで、男だ女だ30億人以上いるもんを一概に括ろうとするケースの馬鹿馬鹿しさは言うまでもないだろう。
じゃあ30億人以下なら良いのかというと当然そんなことはない。
黒人白人黄人中国人韓国人だの朝鮮人だの学歴がどうの出身地がどうののレッテル貼りは全部くだらない馬鹿のお得芸だし、そんなこと多少なりとも常識なり良識がある人間はまずやらない。
さっきも言ったが別に人間の数の問題じゃなく、1人の固有の人生を共同体だのレッテルで人間性を決めつけようとする吐き気をもよおす邪悪さが癇に障る。
別に僕はそんな問題提起をしたいわけじゃなく、こういうクソくだらねぇゴミクズみたいな自意識を日常系だのセカイ系だのと言った言葉を使ってオタク界に持ち込んで悦に浸ろうとするゴミみたいなオタクがこの世には大勢居て、そういうクズの自意識が特にネットでは多く散見され僕の愛好する作品群が侮辱されていくのは辛いという話です。
分かったらさっさと日常系とかいう最悪すぎる語を、しかも差別的に用いるのはやめろ。
美少女動物園と揶揄して作品を馬鹿にするお前の姿は畜生の臓物よりも汚らしい。
核として言っておきたいことが一つあって、日常系というのは紛れも無くキャラクターの成長を描く作品群であるということです。
— レトルト (@callkanon) 2015, 6月 21
ただその成長というのは、バトル漫画みたいに強い敵倒してドン! っていうふうに視覚的に演出されないので、日常系はキャラクターの成長を楽しむ作品だということがバカには理解できない。
— レトルト (@callkanon) 2015, 6月 21
こういうことを言うのはダメだと分かっててもあいつらは増長を止めないから仕方ない。
だから日常系作品を5分アニメの枠でやってしまうと、その、成長を描くという点が全く描けなくなってしまうので断固反対していくべきですぞ
— レトルト (@callkanon) 2015, 6月 21
日常系アニメを30分見るのは辛いから5分アニメにして欲しいという意見に対してのツイートでした。