2015/07/24

シンデレラガールズ 妄想カバーセトリ

「シンデレラガールズの女の子たちにこの曲を歌ってもらいたい……」
誰もが一度はそんな妄想をしたことがあるだろう。
琵琶湖一周中にそんなことを考えた私はツーリングを放っぽりだしてセットリスト妄想にふけっていた。

GET THE WORLD(影山ヒロノブ)安部菜々


あべななさんじゅうななさい
という恒例のネタは置いておいて、安部菜々さんの実年齢は個人的には23~26歳だと思っていて、その年代にクリティカルヒットするであろうGET THE WORLDをチョイスしてみた。
安部菜々さんならおそらく一番手を切って全力で熱唱してくれるだろう。
僕はソニックセイバー派です


銀河旋風ブライガー(たいらいさお)赤城みりあ


ナレーションのカッコよさ、OPの作画レベルの高さ、本編作画の残念さで有名な銀河旋風ブライガー。
実はこのアニメ、日本で初めてナニのシーンが描かれた作品であり、そういう意味でも赤城みりあさんは適役なのではないだろうか。
世界は赤城みりあさんのはじめてのチュウのカバーを待っているぞ。


真夏のシューメーカー(THE PINBALLS)神崎蘭子


最初神崎蘭子さんの曲はWHITE ASHのCloudsにしようかと思ったのだが、アレは歌詞をあえて空っぽの意味不明にして、何も小難しいことは考えず雰囲気に浸ってくれ! という曲なので、ちゃんと世界観と向き合って考え込んだ上で自分の結論を曲に持っていった神崎蘭子さんにはそぐわないかな、と思った。
そうして白羽の矢を立てたのがTHE PINBALLSだ。
私はTHE PINBALLSのファンだ。
 

しかしこの真夏のシューメーカーも歌詞の意味が理解できるわけじゃない。ハッキリ言って何を言ってるのかサッパリ分からん。
しかし退廃的な情景と熱いパッションは伝わってくるのだ。
ちゃんと世界が「ある」曲なのだ。



アイスクリーム シンドローム(スキマスイッチ)渋谷凛


これに関してはあまり語る必要はないんじゃないだろうか。
私は渋谷凛さんがアイスクリーム シンドロームを歌っている光景を想像しただけでボロ泣きしてしまうので。


daze(じん ft. メイリア from GARNiDELiA)渋谷凛


えぇー、まず先に1つ。
散々メカクシティアクターズがクソアニメだ煽られましたけど私はそうは思いません。
確かにカゲロウデイズというコンテンツ自体はどうしようもないアホ中学生がハマる現実逃避コンテンツですけれども、カゲロウデイズはその現実逃避に極めて真摯に向き合っていて非常に好ましい作品群だと考えます。
アニメも曲の内容を聞いてキャラを知らないとストーリーがまるで理解できないという欠点はありましたし、作画のレベルは酷い。単純に物語として面白く無いという凄惨な有り様でありましたが、しかし、高校生たちが夏を過ごす物語として捉えた時、あの作品は光り輝くものであると信じて疑いません。
あとメカクシティアクターズの夏の描写は数あるアニメの中でもトップクラスなんじゃないだろうか。
そういう意味でも、夏感が満載された素晴らしいアニメだと思いますね。
バカには分からんでよろしい。


その代表的な曲がこのdazeでしょう。
つーかカゲロウデイズ言っといてなんですけど私はこのdazeぐらいしかまともに聞いたことがないのでdazeぐらいしか語れる曲が無いんですけどね(大爆笑)

意味がない意味深な詩から始まり、「最終話」「最終日」のようなコンテキストを知ってないと伝わりづらい語を持ってくる。
そこからは現実逃避オタクを焚きつけるような熱い歌になるという内容。まさにカゲロウデイズというコンテンツを体現している、カゲロウデイズそのものを表した曲だと言ってもいいでしょう(適当)



夢の恋人(NONA REEVES)本田未央


クッソ寛大なNSDR兄貴の紡ぐ優しく包み込むような浮遊感を与えてくれるメロディをちゃんと聞いて、たった1度の失敗でネチネチと粘着する未央アンチは感銘を受け首を吊りなさい。


劇場支配人のテーマ(THE PINBALLS)新田美波


再度THE PINBALLS。

ハマってるからしゃーない。
新田美波さんは落ち着いた曲よりも、やはりこういう退廃的でどこか熱い曲のほうが似合うんじゃないかと思いますね。

あっ、そうだ(唐突)
劇場支配人のテーマのFullが収録されたコンピレーションアルバム「ニンジャスレイヤー フロムコンピレイシヨン『忍』は7月22日に発売だゾ



砂塵の彼方へ(Revo & 梶浦由記 )LOVE LAIKA(アナスタシア&新田美波)


武内Pにも参加して欲しいですね


異邦人(久保田早紀)島村卯月


僕の中では異邦人といえば島村卯月さんのイメージしかないですね。
この原曲も久保田早紀じゃなくて島村卯月さんが歌っているんじゃないだろうか。

歌詞を鑑みると天海春香さんが歌っても似合いそうだ。
少なくとも蒼い鳥よりかは断然似合っている。


余談、中森明菜の異邦人カバーはやる気なさすぎで笑ってしまった。

ぶちぬけ!2008! (初音ミク doriko)緒方智絵里


正直シンデレラガールズ1期での緒方智絵里さんは影が薄すぎてどんなキャラかつかめず、どの曲が似合うのか悩みに悩んだ。
CANDY ISLANDの様なふわふわかわいい路線で行くか、蒼い鳥のような重い路線で行くかで迷ったが、最終的にはぶちぬけ!2008という、ふわふわしつつも突貫力のある曲を選んだ。
緒方智絵里さんにこの曲が似合っているかどうかはともかく、ぶちぬけ!2008を歌っている緒方智絵里さんはカッコいいんじゃないだろうか。
間違いなくカッコいいと思う。


DAYS(FLOW)*(Asterisk)(前川みく&多田李衣菜)







風の辿り着く場所(彩菜)双葉杏



kanonのEDとして有名な名曲。

名曲……なのだが、この曲には罠がある。
それは後半で挿入されるラップ。これが意味の分からない英語の歌詞を高速で歌わなければならないという異常な歌唱難易度を誇っており
「ヨッシャー、kanonのEDでも歌うかーw」と軽い気持ちで挑んだオタクの面をへし折ってくれる。
このラップが歌えないとオタクは実に恥ずかしい思いをするのだ。
このラップが歌えるオタクはオタク内カーストの頂点に立つのだ。
歌えるようになるのは結構が骨が折れるが……。

しかし、アイドルマスターシンデレラガールズには我らがラップ女王双葉杏さんがおられるので、この難しすぎるラップパートも見事に歌唱してくれるだろう。

ちなみにこのラップ、素材集からの引用を挿入しただけである。
ラップ内の歌詞の意味も当然無い。kanonと関係があるわけでもない。
エロゲメーカー黎明期に相応しい実にほっこりするエピソードです(適当)

赤いスイートピー(松田聖子)三村かな子


「大坪由佳さんが赤いスイートピーを歌ったら絶対オタクが死ぬよな」
というようなことは常に考えていて、今回それを妄想で実現した形だ。

ハッキリ言って大坪由佳さんに赤いスイートピーを歌ってもらいたいだけなので、三村かな子さんとは何の関係もない。そういうこともある。

虹を待つ人(BUMP OF CHICKEN)城ヶ崎美嘉


Truly(PASSPO☆)城ヶ崎莉嘉


待つわ(あみん)赤城みりあ&城ヶ崎莉嘉


ノーコメント



キミに負けないように(星山澪)高垣楓


「武内Pは元高垣楓のPだった説」を採用するとこの曲になるんじゃないだろうか

高垣楓さんは意外とグランダー武蔵が好きなのかもしれない。
そういう部分に萌えを感じる。


balance unbalance ~ホントウ ノ ワタシ~(三森すずこ)諸星きらり


諸星きらりさんに対しては整理の付けようのない情念があるのでノーコメント


空想ルンバ(大槻ケンヂと絶望少女達)CANDY ISLAND(双葉杏+三村かな子、緒方智絵里)


大槻ケンヂと絶望少女達はCANDY ISLANDに合うな、というのは前々から考えていた。
しかし大槻ケンヂと絶望少女達と言っても結構な曲数がある。
そこでピーンと来たのが空想ルンバの「安い値をつけやがって、解き放つぜ」という歌詞。これが実に双葉杏さんらしい。

あと「いえいえアナタとセットは嫌じゃ」と歌う緒方智絵里さんを想像したら興奮した。


Give a reason(林原めぐみ)アナスタシア


アナスタシアさんの林原めぐみ感は異常。

Give a reasonはスレイヤーズNEXT後半の展開も相まって大好きな曲ですね。

愛情・情熱・熱風(北原沙弥香)多田李衣菜


イナズマイレブンGOダーク は決して素直に褒められたゲームではないのですが、EDのこの曲で大号泣したので全てを許しました。
これからイナズマイレブンGO を遊ぼうとする人は是非ダークをオススメします。
アニメは明らかに1シリーズ3期から製作陣の自転車操業感が伝わってきて辛かったですね。
1シリーズ1期は否定の余地がない屈指の名作なので是非見て欲しいですね。


回レ!雪月花(歌組雪月花)凸レーション(城ヶ崎莉嘉、諸星きらり、赤城みりあ)


Shining☆Star(田村ゆかり、能登麻美子、釘宮理恵)new generations(島村卯月、本田未央、渋谷凛)












みんな快盗天使ツインエンジェルを見よう


2015/07/14

園部のこむぎ山

その日私はクマチャッピー号で琵琶湖一周をするつもりだった。
朝から支度をし、さあ行くぞと意気込んだその時あるニュースが飛び込んできた。


何もする気がなくなった。

岩田さんは僕が大尊敬する人だった。開発者として、経営者として、キャラクターとして、そして人間として、素晴らしい人物だった。
岩田さんが居なければ今の任天堂やHAL研究所はありえないし、現状のゲーム業界もなかった。
現在、毎月毎月おびただしい数の、クオリティの高いソフトが発売され続けユーザーに供給されているという現実はなかった。
私達が当たり前のように呼吸しているゲームという酸素を産みだした方でした。本当に惜しいし、悔しい。
何に怒るでもないし怒れるものでもないけど、何かを許せないという感情ですよ。ただただ信じられないし、泣けば泣くほど事実を認めてしまった気になってしまって余計に腹立たしい。
琵琶湖一周なんかとても出来る気分じゃない。
そうやって何もせずに項垂れていて、唐突に思った。

「そうだ、園部のこむぎ山へ行こう」

別に気が狂ったわけではない。



説明しよう! 園部とは京都西北部に存在する町で、かの有名な宮本茂氏の生まれ故郷なのだ!

氏は2001年のインタビュー(http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/tanba/08.html)でこう答えていた。

ゲーム制作に携わるようになって、どんな角度でマリオがこけたりするか、どうやって跳んだりはねたりするか。アリのようなピクミンがどのように行動するかは、自分自身が身をもって体験したこむぎ山での思い出が原点です。


このインタビューを読んでから、私は漠然と「この、こむぎ山に行きたい」と考えていた。本当に漠然とね。なんとなく行けたらいいなって。そして、今回の岩田さんの訃報。
時が来たと思った。



















クマチャッピー号を飛ばして園部へ向かう。大津まではバイクで飛んだが、そこから京都駅~園部までは電車で行くことにした。
その方がなんとなく良いと思った。
京都駅から園部までは14駅、べらぼうに時間がかかる。言い忘れていたが園部はド田舎なのだ。
その間私は岩田さんがこれまで受けてきたインタビューや社長が訊くを読み直していたんですが、やっぱり再確認ですよね。
こんなに素晴らしい人がいたんだなって。こんなにもゲームのことを考えていて、ハードゲーマーのことも”分かって”いる方だった。何せ自身が自他ともに認める筋金入りのプログラム中毒者なのだ。
だけど、コアにゲームが好きな人の感情を分かりつつも、ゲームに造形の薄い人たちにどうすればゲームが楽しんでもらえるのか? ということを試行錯誤し続けてた。何度でも繰り返すが本当に素晴らしい方だ。
やがてその苦心は実を結びDS、Wiiの歴史的ヒットへと繋がるわけですね。

ちなみに電車で読んだ記事はこんな感じ。一部ではあるけど

http://www.1101.com/nintendo/wiiu_talk/2012-12-20.html
http://www.nintendo.co.jp/ds/interview/axbj/vol1/index.html
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20121009/244633/


あとTwitterなんかでも続々と流れてくる生前の偉業やエピソードを楽しく読んだりしてた。


この話は初めて聞いた。本当に凄い人だったんだなぁ。
そうこうしていると園部についた。途中事故もあって50分くらいかかったけど、そんなことも感じないぐらい一瞬だった。


こういう人の言葉だからこそ時間が一瞬で過ぎていったんだろう。

さあそうやって着いた園部ですがまあド田舎でしたね。
見たい人はグーグルストリートビューで見ればいいんでね。
そこからしばらく歩く。
文字にすれば「しばらく歩く」の一言で済むけど、実際は20分近く山沿いの急勾配を大日射に照らされながらの行軍でした。いや~キツイっす(素)





















ようやく辿り着いた園部公園がコレ。城は城下町の名残で確か今は中学校だかになってたはず。すげぇよね城が学校になってるって。
この奥にこむぎ山がある。



















公園に入ってからは全力ではしゃぎました。
そもそも今回の園部訪問の目的は「子供のようにはしゃいで遊んで、宮本さんの幼少期を追体験する」というものだからだ。
実際に追体験出来るのかどうか、したところで何の意味があるのかとかそういう考えは一切無視してはしゃぎまくった。公園を全力疾走してこむぎ山を駆け上った。



















後はまあ、山の中に神秘的な神社があって、そこでカミサマ的なアレに話を聞いてもらったりした。こんなん人に話すようなことじゃないけど、少し楽になった気はしましたね。

そこでね、こむぎ山を走り回ってて気付くんですよ。
「あっ、これって任天堂だ」って。
正しく言えば「優れたゲーム」だなって、思いましたね。

まず動いてるだけで楽しい! これはゲームの一番根本の部分にある快楽装置だと思う。マリオとかそうだけど、クリボー踏めたら楽しいし、ステージクリア出来れば嬉しいんだけど、それより一番手前に「マリオが動くだけで面白い!」って感情があるんですよね。ゲームを進める内に忘れてしまいがちな思いだけど。そういうのを再認識した。

後は「道の作り方」
これは本当に上手いと感心した。














これはその説明をするために撮った写真ですけど、頂上に行くために色々なルートがあるんですね。
舗装された勾配の少ない坂を渡ってもいい、急な階段で登ってもいい、そして↑の写真のように、道のないところを駆け抜けて登ってもいい。
ここらへんが本当によく出来ていて、道のないとこでも「動ける、走れる」ようになってるんですよね。
普通道を作ったらそれ以外の場所は整備しないと思うんですけど、驚くことにこの山は全てが道になっている。
お婆ちゃんお爺ちゃんは坂を歩けばいいし、若者は階段を登ればいい。子供は何もない傾斜を駆け上っていい。一つの山というコンテンツに対して様々なアプローチの方法があって、そのどれもが楽しい。
これは……だから、任天堂の理念そのものであり、任天堂が作ってきたゲーム自身ですよね。


この山だけじゃない。園部という町全体が素晴らしい町だった。
さっき言ったように山は子供が遊びやすく、かといってヌルく作るわけでもなく、「必要最低限の整備を全体に施し万人が思い思いの楽しみ方が出来るようにする」という施政がとられている。
園部公園も美しく、また立派な建物が建ち並ぶ美しい公園だった。


















園部は良い町でした。また来たい。何度でも園部に訪れたいなと。
そのたびにこむぎ山ではしゃいで、町でゆっくり休んで、園部という町をもっと愛せるようになれば良いと思う。



ここまでがどうでもいい話。

ここからが更にどうでもいい話。

 
僕はカミサマにお話聞いてもらう代金を払うことにしてるんですね。俗に言う賽銭というやつで。
いつもそれは1円とかなんですけど、流石に今日ばかりはどうすっかなぁ、それじゃダメかなぁと思って、1円と5円どちらを出すかで悩んだんです。
ナンバーワンの1円か。
ご縁がありますようにの5円か。

僕が選んだのは10円でした。何故10円を選んだのかというと、皆が俺は2だ! 俺は1だ! と争っている中で、僕は10だよ。と言える人間になりたいと思ったからです。
これって任天堂の理念と一致していて、マシンパフォーマンス争いや価格競争の先に待っているのは緩やかな市場の消滅しか無いんですね。
だからこそ任天堂は価値を埋没させないために、「2画面」「wiiリモコン」「裸眼立体視」「ゲームパッド」という独自の強みを次々と打ち出していった。
つまり任天堂は1か2か、の争いをしている市場に10で殴りこみをかけることで栄光を手にしたのだ。
しかし数字が多ければ良いというものではない、ハイパフォーマンス化だけに囚われればハードの価格が際限なく上昇し、あまりゲームに馴染みのないライトユーザー離れが進む事態となるだろう。100円や500円、1000札で参入すればいいというものではないのだ。
「枯れた技術の水平思考」ではないが、ある種挑戦と保守。というバランス感覚がハードには重要なのだろう。岩田さん、及び任天堂はそのバランス感覚に非常に長けていたからこそ、新しいことに次々と挑戦し新規プレイヤーを開拓つつも、従来のユーザーの心も鷲掴みにするという離れ業が出来たのでしょう。
私もそんな任天堂のように、1番か2番かなどという些事に囚われず、独自の長所を貫ける人間になりたい。そういう思いを込めて10円玉を賽銭に入れました。

嘘です何も考えてません。


更に更にどうでもいい話

僕はご冥福をお祈りしますとかいう言葉が嫌いで、もっと言えばこの言葉を使ってる連中が嫌いだ。なんだよご冥福って。お前自分の思いでその言葉を考えたのかよ。
周りが言ってるから自分も言ってるだけじゃねぇかよ。そういう安易さが目に透ける。

 それから今回の件を気にまとめブログがボロクソに叩かれてるけど、それはもうどうでもいいかなって思う。「人の死をキッカケに何か悪い者を叩こうとするのは不粋だ」という旨のツイートを見てから、なんかそうだなって思った。

それから生前岩田さんと深い親交があって、親友とも言える中のほぼ日刊イトイ新聞の見出しなんだけどそれがコレ





なにが「コンテンツ」だよ。人間をなんだと思ってるんだ。

まあそれはどうでもいい。そもそも僕がなんでこんな小さいことに噛み付いてるのかって話になると、僕は糸井重里とかいう野郎が大ッ嫌いなんですよね。特に面白くもないくせにでしゃばってきては偉そうなこと言って(聞いて)悦に浸ってる。ゲームなんざ大して知らないのに偉そうに語ってくる。それ以外の分野にしたって専門外の領域に平気で「おれ知ってますけど?」みたいな面で解説しだす。本当に不愉快ですね。
まあそれとは関係なしにあの生理的に無理な顔面と何でもかんでも比喩に結びつけようとする大衆サマへのサービス根性とキッショイキッショイバカポエムが大嫌い。

人間として一番無理な位置におる人種やと思う。糸井里里とかいうアホは。
そもそもこんな奴の言うこと聞いて「へぇ~」みたいなことを少しでも思う奴は自分の視野の狭さに気づいた方がいい。コイツの話は岡田斗司夫と同じだよ。
人があんまり知ってないニッチな知識を全く関係のない話題にサモ当然の前提知識であるかのように持ち出してきて、人を感心させてから脱線しまくった正論染みた持論を語る。
すると議論の対象になってるものとは何も関係のない話をしているのに、「この人の言ってることは深くて正しい」みたいな錯覚に陥る。
もう本当に不愉快でしかないね。コイツもそれに釣られる奴らも。そもそも~(ここから人格否定が1時間ほど続く)

岩田さんと深く親交があった、いわば親友であり戦友ということなので、まあ深くは批判しませんけどね。いつか岡田斗司夫みたいに化けの皮が剥がれる時は来るので一々僕が言う必要ないわけですよ。

こんだけべらべら語って何が言いたかったのかというと、「コンテンツ」という紹介の仕方は目障りだということですね。


で、僕はこのブログを書くために糸井重里のTwitter、あるいはほぼ日の追悼ページを見てるんですね。
http://www.1101.com/readers/2015-07-14.html

そうしたらこういうね、自分語りが延々と続くわけですね。このポエム自分語りを読んでどう感じるのかは人次第だと思うけど、少なくとも僕はこいつらから人の死を自分語りポエムの機会として消化しようとするような薄汚い根性を感じてしまう。
こいつらを人の死を利用して自分語りを始める自己陶酔が大好きなオシャレさんと思うわけで、糸井重里が気に食わない事も含めそういうことに腹を立ててるわけです。




人が死ねばポエムが書けるぞ

2015/06/27

劇場版ラブライブをボロクソにけなす記事



ラブライブ! The School Idol Movie

















本当に酷い出来だった。俺はあの瞬間間違いなく地獄を見ていた。
ゴミの山に執拗に泥を塗りたくったらこういう物が出来上がるのかという感じ。
テーマとしてはタイトルにあるようにスクールアイドルの素晴らしさを伝えようということなんだろうけど、そもそも1期2期通して劇中にアライズとミューズの2組しかスクールアイドルが出てないのに何がスクールアイドルの素晴らしさなんですかね。
俺はミューズとアライズしかスクールアイドルを知らねぇよ。
もしかしてこの脚本家はラブライブがガルパンの様に様々なスクールアイドルと戦いを繰り広げながら親交を深める物語だとでも思ってたんだろうか。
そう思いながらスタッフを調べたら1期2期の脚本を務めた花田十輝だった。なるほどね。

ラブライブの演出志向として、ライブの観客を描かない、ライブの装置(スピーカーやマイク)を描かない、ある種幻覚演出的なアレが多用されるんですが、空港から帰ってきてファンに囲まれてるのにライブを見てたファン、TV放送を見てたファンを一切描かないのは惨めなぐらいお粗末。
この演出を意図してやってるというのはちょっと考えたくないですね。
そもそもラブライブってこの「ファン」の扱い方が非常にぞんざいで、「どうやらミューズの人気が出てきたらしい」という情報をネットの再生数だとか学校でチヤホヤされるだとかそういう方向でしか表せてないんですよ。本当に馬鹿なんじゃないか。あと女しか居ない。視聴者である俺の立ち位置がない。
「ミューズの9人の視点」ということならそれこそファンを描かないのはおかしいのであってね、まああの9人にとっては、自分と自分の周りの人間が大事でファンなんかどうでもいいということなんでしょうけど。そういう意味で彼女たちがスクールアイドルにこだわる意味は分かる。

対立煽る訳じゃないが「AKB0048」、「アイドルマスター」ではこのファンの描き方ってのをすごく繊細に、丁寧に描写して向き合ってるんですね。AKB0048では丁寧にアンチの存在まで描いていて、アンチとどう接するか。というところまで踏み込んでいた。
そして我々はアイドルマスター18話を永遠に忘れないだろう。












そういう素晴らしい作品群を見てると本当にラブライブがファンという存在から目を逸らしてるのが分かる。
逆にこの雑な方針が活かされたのがラブライブ1期3話で、この頃は3人しかメンバーが居なくてファンなんて誰も居なかったからこそ3人だけで歌う、観客はほとんど居ない初ライブがすごく感動的に写ったんですね。俺はボロ泣きしたよ。
それ以降はまあお察しですが。
幻覚演出も僕は最初「ミュージカル的な演出なのかな?」と思ったんですけど全然そうじゃないし、どうやら単にライブをやっているだけらしい。劇場で見てる時俺は何でこんなミュージックステーションで流れてそうなPVモドキを見ないといけないんだ……とずっと自問自答していた。
ライブシーンが本当に楽しくない。
そもそもライブの魅力ってクソデカいスピーカーとか、絶叫するファンの姿があってこそなんですよ。それ省くってことは単純に口パクの訳わからんPV撮る気しかないってことでしょう。そんなのYouTubeでいくらでも見れるわ。
幻覚演出を使うなら車の上に半裸で乗って深夜高速を爆走するぐらいはやってくれないと絵的に面白くない。











別にラブライブに半裸で車の上に乗って爆走しろと言っている訳ではない。
 

ライブに関しては3DCGの切り替え方がチグハグ過ぎて見てられない。違和感しか感じないし何なら1期アニメOPの方がまだ違和感が少ない。あと3DCGはロングショットで9人が同じ動きをするぐらいにしか使われたなかったし、全然迫力がない。
大きい動きをさせるためのCGじゃなく、作画の労力を節約するためだけのCGでしたね。そんなに作画節約したいならアメリカの背景でも写してそれっぽい絵にしとけや。
まあここは劇場版アイドルマスターでもミスってた部分でもあるし難しんだろうけど。
 そんな感じで、何も考えずにライブ作ってるんだなということだけがヒシヒシと伝わってきたライブシーンでしたね。

ちなみに3DCGといえばストライクウィッチーズというアニメが世界最高峰の切り替えの上手さを披露してくれるので是非皆さんストライクウィッチーズ見ましょう。


あと曲ですが俺好みじゃない。
という言葉で済ますにはあまりにも不備があると思う。
そもそも1回聞いただけの曲にそない感情なんか抱けるかボケ言う話しでね。
アニメのOPとかEDは何故魅力的に感じれるのかというと何度も何度も聞かされるからですよ。1回聞いただけの曲に思い入れは持ちにくい。

ここらへんアイドルマスターが良い見本だと思う。まず作品が始まるとテロップと共に聞き慣れたTHE IDOLM@STERが流れてくる。聞き慣れた、何度も聞いた曲だから当然観客のテンションはブチ上がる。俺はこの時点で泣いている。そして途中で挿入されるラムネ色 青春。吹き抜ける風のような気持ち良いメロディと共に合宿を楽しむアイドルの姿が映しだされる。ああ、最高だ。あと水着。
オタクは水着を見るとテンションが上がるし、挿入歌が流れるとテンションが上がる。このダブルパンチを序盤で放ってきたのは本当に凄まじかった。
そしてなんと言っても主題曲であるM@STERPIECE。このM@STERPIECEは最終盤を彩る曲なんですが、実は序盤の内にインストゥルメンタルという形で何度も何度も流されるんですね。
だから終盤でこの曲が流れてきた時、「初めて聞く曲なんだけど、聞いたことある!」という現象が起きる。いやぁ劇場版アイドルマスターは本当に凄かったですね。

閑話休題
このようにアイドルマスターは初めて聞く曲でも視聴者が楽しめるようにありとあらゆる工夫がこらされていたんですが、ラブライブはそういうフォローが全く無かったので、そもそも曲の良し悪しを語る域に達してない。

ちなみに最後のライブの脇マンコはヤバい。映画館でチンポ出そうかなと迷ってしまった。
アレ見るためだけに複数回通う人の気持ちは分かる。



シナリオに関してはもうアレでしょう。キツイ。
ちょっとだけ映画けいおんに構成が似てるとなとは思ったけど、細部でありとあらゆる面でのクオリティが違いすぎるので対比にすらならん。 
スクールアイドルの素晴らしさ云々言っておいて出てきたスクールアイドルが全員モブ顔ってなんやねん。
本気でブチギレそうになった。お前スクールアイドルの素晴らしさ伝える気ないだろ、と。
「スクールアイドルみんなで作るライブ」と銘打ってるのにミューズが終始中央に収まってるのはもはや笑えるレベルだ。スクールアイドルみんなで作る(ミューズの)ライブでしたね。劇場で終始頭を抱えるはめになった。

細部を突くと「叶え!みんなの夢!」というキャッチコピーなのに誰も夢に挑戦しないし、そもそも夢の存在が描かれない。誰の夢も叶わない、顔が良い女子高生がイチャイチャしてみんなにチヤホヤされるだけの映画なので、顔が良い女子高生がイチャイチャしてみんなにチヤホヤされる映画が見たい人は楽しめるかもしれない。

ちなみにこのイチャイチャの部分も僕は大嫌いだ。劇中で数回ほど顔に唇近づけてルージュブワァッ!みたいなシーンがあるんですけど本当に下品でイヤになりますね。
アニメのキャラのルージュに需要はあるのか。国民の民意が問われる。
途中でかよちんが突然泣きだして、ご飯食いてぇーーー!って叫ぶシーンがあるんですけど、僕はそのシーン、ああ、かよちんどうしたんだろう、何かイヤなことでもあったのかと本気で心配したのにご飯食いたいだけでしたという茶番オチ。
いや真面目にね、冗談でキャラクターに泣き声出させるべきじゃないんですよ。映画館だと声が響いてビクッ、ってなるし、こういうの繰り返してるとクライマックスでキャラクターが泣くシーンすらもギャグに思えるじゃないか。
とか思ってたら最後までキャラが泣くシーンはありませんでした。なるほどね。

キャラクターの扱い方についてだけど、割りと満遍なく色々なキャラのCPが試行出来るように描写を組んでてそこだけは唯一評価できる。
劇中でのファンはすごく雑に扱うのに、視聴者のオタクにはしっかり媚を売るんですね(笑) とか思ったりはしないでもない。
ちなみに「1つの劇中でほぼ全てのCPを試行する」という試みは「ゆるゆり なちゅやちゅみ!」という映画がとんでもないクオリティでやってのけてます。


ことりとかいうクソ女の母親の描き方も酷かった。ミューズ存続を問うシーンで、「みんながこう思ってる」「みんながこう望んでる」という話をするばかりで自分の意見が言えてない。しっかりするべきはずの大人を無能に描いておいて主人公たち子供を苦悩させるシナリオには正直不快感しか覚えない。



あとはーーー……星空凛さんがすごく可愛かったですね!!!!
僕は高坂穂乃果さん派でまあ凛さんは今まで割りとどうでもよかったんだけど、何故か異様に星空凛さんの所作にだけ異様に力が入っていた。何なんだこれは。
序盤から終盤までとにかく異様に星空凛さんの作画は動くし可愛い。
そして何より声優の演技がズバ抜けてましたね。

正直ラブライブの声優って全員下手だし音響担当もまあ能なしなんやろうなみたいな演技しかしないんですけど、 星空凛さん役こと飯田里穂さんの演技だけがズバ抜けてキレッキレで上手くて、他の声優陣の下手さも相まってとても魅力的だった。

ちょっとここでラブライブの声優の演技について語ろう。
ラブライブの演技は基本的に典型的なアニメ調で、チヤホヤされて調子に乗った女共がクソ高い声で騒いでそれで更にチヤホヤされるという、アレに近いアレなんですけど、まあ僕はそういうの嫌いじゃないんですよ。
ただラブライブのそれはあまりにも品がなさすぎる。うるさいし不快。
けど声優のラインナップ見ると確かにアレな人も居るけど三森すずこさんとかてーきゅうとかでは素晴らしい演技を披露しているし、声優に問題があるわけじゃないんですよね。単純に音響担当の奴の演技指示が無能なんだと思う。




















萌えアニメといえばさっき言った感じのアニメ調の演技が主流だったんですが、最近それは変わりつつあると思う。中でも代表的なのが「響け!ユーフォニアム」で、ジョイナスと呼ばれるキャラクターが中日ドラゴンズの指揮をとりながら陰茎を露出するアニメなのだが、主人公の久美子の演技がとんでもなくヤバいんですよ。
こればっかりは言っても伝わりにくいので実際に見て確認して欲しい。普段はアニメ調の演技なんだけど、シリアスなシーンや気を許してる、どうでもいいと思ってる相手の前では素に近い声になる。
この落差が実に甘美だ。本当に素晴らしいと思う。
こういうのは他のアニメでも顕著で(例をあげたらキリがない)、とかく今の時代のアニメでキャンキャン騒いでるだけの女キャラってのは居なくて、大抵「表」と「裏」の二面性を持った演技を使ってる。
ラブライブがダメだと思うのは悩んでるシーンとかシリアスなシーンでも声優が演技のトーンを変えないことですね。音楽を題材にしてるクセに声という音を演出に使って行かないでどうするんですかね。
ちなみに星空凛さん役の飯田里穂さんだけがこの2面演技をやってました。とんでもねぇなと思いましたね。


こんな感じに劇場版ラブライブはとても酷い映画なので皆さん見に行ってケチョンケチョンに叩こう! ラブライブを馬鹿にしよう! ほのにこ同人誌を買おう! 違法ダウンロードをやめよう! C3部を見よう!


















 以上ラブライブアンチよりお送りしました

2015/05/29

エンジェルビーツについて

唐突だが私は岩沢というキャラクターが好きだ。
私がAngel Beats!の中で好きなキャラクターランキングを作れば
1位 岩沢
2位 音無
3位 ユイ
の順になるだろう。 オタクはすぐ好きに順位を付けたがる。
何故岩沢が好きなのか。ギャラクシーエンジェルのミントさんで恋に落ちた沢城みゆきがCVだからかもしれないし、新作のゲームでえっちなCGを披露してくれたからなのかもしれない。

あと最低な事を言えば僕自身岩沢と天海春香さんを重ねているフシがあって、天海春香さんでオナニーすることは出来ないし許されることでもないけれど、岩沢なら出来るとかいう訳分からん基準があったりする。本当に最低なことを言ってしまって申し訳ない。


ちなみにこの岩沢、1話で重要キャラっぽく登場したのにも関わらず3話で成仏して以降登場することはありません。話題に出ることも少ない。
突然消えて誰もそのことに触れない、全ての意味でAngel Beats!というアニメを体現するキャラクターと言えるでしょう。別にdisっているわけではない。
そもそもエンジェルビーツには「成仏したキャラには極力触れない」という不文律がある。誰もそれを口にはしないけれど、誰もが守っていることだ。5点差で盗塁をしてはいけないのだ。
この不文律を皆が律儀に守ってるが故に、岩沢は「出てきてすぐ居なくなった影の薄いキャラ」という捉えられ方をされてしまった。これは大変不名誉なことである。
というわけで今回はその汚名を返上していきたい。
岩沢は素晴らしい魅力を持った人間であると表明していく所存だ。
それから各所でへたれヒモクズジゴロ野郎との罵りを受けている音無結弦さんの弁明にも努めていきたい。

そもそも何故「成仏したキャラに触れない」という不文律が存在するのか。それは端的に言えば、希望を持てたからです。
そもそもあの世界は死者が集まる死後の世界。それも満足する青春を送れなかった、理不尽な人生を送らされた者たちの世界です。そんな世界でNPCと同じようにいっぱしの青春を謳歌してしまえば未練が浄化されて成仏してしまう。それがあの世界のシステムなのだ。
そんなシステムに反逆し、死後の世界でもなお生き続けようと試みるのがSSS(死んだ世界戦線)なのだ。
彼らは徹底的に抗い続ける、授業をボイコットして野球に興じたり釣りを楽しんだり地下ダンジョンを攻略したり校長室を占拠したりゲリラライブを開いたり仲良く学食で飯を食ったりする。
「それこそ立派な青春じゃねぇか!」というツッコミを入れたくなる盛大なギャグなのだが、実はこれがポイントになってくる。
彼らの「未練」は楽しい青春生活を送ることではないのだ。もし、未練が青春を謳歌することならば、SSSに所属した時点で成仏しているだろう。そもそも楽しい時間は永遠に続いて欲しいものなのだ。それが人情というものだ。
だから「楽しい青春を過ごせたから成仏する」という流れは根本的に破綻している。
そもそも悔いのない人生というのはありえないんですよ。人間は悔いを残して死ぬもので、本当に悔いのない人生を送れたのだとしたら、その時間が永遠に続かなかったことを悔いるでしょう。
明日トラックに轢かれて死ぬかもしれないから毎日悔いの残らないように生きようとかいうアホの戯言は虚言でしかない。話がズレた。別にそういう話をしたいんじゃない。

悔いのない人生はありえない。だから、死んだ世界の目的は生前果たせなかった悔いを満たしてやることではないんです。人生の再試合をやる世界じゃない。彼らもそれを望んではいない。
故に、彼らの「未練」はもっと別のポイントに存在する。それはおそらく、今の未練を満たすことではなく、来世に希望が持てるようになること。

岩沢は何故3話で歌いきることで成仏したのか。それはきっと満足したからではなく、来世に希望を持ったから、来世でも歌うことが出来るという決意が出来たからなのだろう。
I also sing next! という言葉がある。直訳すると、「私は次も歌う」という意味だ。
この言葉は岩沢が、別れ行く皆で共有する寄せ書きに書いた言葉だ。
岩沢は来世でも再来世でも、たとえミジンコになってもオケラになっても歌うでしょう。それが彼女が死んだ世界で得た物だったのだと思う。

成仏するということはあの世界から居なくなるということでもあると同時に、「来世に希望を持てた」ということでもある。だから来世に希望を持てないで反逆を続けている死んだ世界戦線の面々は、成仏した仲間に対して、寂しさや悲しさと同時に憧れという羨望めいた感情を持ち合わせているのではないでしょうか。だけどそんなことを口にすることは許されない。
人間社会で「マイケル・ジャクソンみたいに死にたい」なんて言ったらマイケル・ジャクソンのファンからボコボコにされますからね。お前は何の話をしてるんだ。
だから誰も、誰かが言ったわけではないでしょう、成仏した人間の話はなるべくしない。自然とそういう不文律が生まれた。5点差で盗塁をしてはいけない。
そもそも死者は弔うものですけど、これから新たな生を迎えるであろう人間にかける言葉なんてありませんからね。エヴァとかいう陰湿根暗味噌集団のアニメじゃないんだから、自分の先を越して未来に向かっていった仲間に「おめでとう」だなんて言えるはずはない。

ちなみにI also sing next!の寄せ書き云々は昨日僕が夢で見た全くの妄想です。本当にすみませんでした。


ガルデモの歌を歌っているのは声優ではなく別のアーティスト、というのは有名な話。
し かしLiSAは知っていてもmarinaは知らないという方は多いのではないでしょうか。marinaさんはエンジェルビーツのボーカル担当をきっかけにデ ビューし、現在はPCゲームを中心に活動している。その点、エロゲ大好きキモオタクである私はコテコテのアニソンしか歌わないLiSAよりも好感を持って いるのもランキングの順に相関しているのかもしれない。
ハッキリ言って私はLiSAのキンキンした声が苦手なのだが、「ユイの歌」ということを考えればこれ以上ない配役だったのだと思わされる。10話の一番の宝物はボーカルがLiSAじゃなかったら泣かなかった。LiSAさんの他の曲だとträumereiが好きです。


Girls Dead Monster(まず名前だけでエモい)の曲だとAlchemyの歌詞が格段にエグいですね。麻枝准渾身の1曲に仕上がってる。深く歌詞を把握してない方は是非見て欲しい。http://j-lyric.net/artist/a053d48/l020b14.html
ちなみにLiSAさんの本名は織部里沙(おりべりさ)と言うらしい。トリビアの泉に投稿すれば80へぇは固かったでしょう。


閑話休題


ここまでの話で引っかかった人も多いかと思われますが、Angel Beatsでは「来世」が存在するものとされています。
皆さんは来世、存在すると思いますか?
知らんとしか言い様がないわな。
しかし死後の世界では来世はあるものとされている。それは何故か!? こんなん一々考えるようなことじゃない。そうでも考えないとやってられないからです。理不尽な人生を送らされて何も叶わないまま死んで、死後の世界に送られて、来世がないと考える精神は普通の人間は持ち合わせません。
まあそれとは関係なしに最終回Cパートで奏と音無が再会してますし、あの世界ではあるんでしょうね、来世。


死後の世界の役割は来世に希望が持てるようになることという話をした。
日向がセカンドフライを取ろうとして、成仏しかけた回がありましたね。最終的にユイにゃんに蹴飛ばされて落球しましたが、僕の説が正しければ、あれは取っても成仏はせんでしょう。
そもそも日向はセカンドフライを落として大会を敗退してチームメイトから陰口を叩かれて落ち込んでいるところを先輩に付け込まれて覚せい剤にハマって死んだわけで、セカンドフライを取れれば解決するという問題じゃない。
日向が本当に必要だったのはフライを取ることじゃなく、フライを落とした後、軽口言って小馬鹿にして励ましてやれる仲間だったんですよね


こんな具合にAngel Beatsのキャラには未練なりやりたかった事なりがあるんですが、例外が居る。天使ちゃんこと立花奏さんとへたれヒモクズジゴロ野郎こと音無結弦さんですね。
 奏さんは音無の心臓移植によって助けられて、そのお礼を言うために死んだ世界に来たので、音無にお礼を言えた時点で未練はない。だから最終話でも音無が惜しむ中すんなり消えたんですけど、ここで一番の例外が音無になる。
最後の最後に消えたくないと叫んだへたれヒモクズジゴロ野郎の音無さんです。

先に言っときますけど僕は音無という主人公が大好きなのです。その割りにへたれヒモクズジゴロ野郎だなんだと言われているのが本当に悲しい。貴様らの血は何色だ。

音無は記憶を喪失していて唯一あの世界で未練がないキャラクターなんですよね。だから他人を成仏させようと活動も出来るし自分の未練と向き合うこともない。そんで途中で記憶が戻るんですが、途中で記憶を取り戻したことで音無は唯一死んだ世界で未練を作ったキャラになる。
大半のキャラクターは未練を持って死んだ世界に訪れるのに、音無はこの世界で未練を作ってしまった。
救えなかった妹と奏さんを重ねちゃったんでしょうね。だから音無は未練を来世への希望に変えることが出来ない。音無にとって未練というのは妹を救うことで、妹が救えなかった今それを奏さんに移してしまっている、だから奏さんが死んだ世界に居る限り音無は絶対に成仏できないんですよね。
最後の最後でそのことに気付いてしまって、奏さんを引き留めて二人で死んだ世界に留まろうと話すんですが、奏さんも分かってたんでしょうね、自分が居る限り音無が成仏できないということを。だから自分がまず消えて、音無にその後を追わせるようにした。とても感動的な話ではないですか。

音無がやれ自己中だ最後の最後で意見を変えるヘナチョコ野郎だなんだとマジでかわいそうなバカ共が喚いてますけど、音無の生前というのは他人に尽くす人生だったんですよ。妹を助けようとして出来なくて、それ以外の誰かを助けようと医者を目指すけど死んでしまって、最後の最期にドナーでやっと1人救えて、死んだ世界に来てからも受け身で誰かのための事ばかりやって。最後ぐらい自分勝手になってもいいじゃないですか。ようやく自分が救えた1人の命と死後の世界で暮らそうなんていう甘い考えを持ってもいいじゃないですか。

そもそもオタク共、あんな可愛い子と二人きりの世界になったのにそのまま消えていくことなんて出来るわけないだろうが。綺麗事を言うな、なんだその第三者目線は、もっと真剣に音無の目線に立って考えろ。口で言うだけなら誰にもできるぞ。

同様の問題は伊藤誠の時にも言ってましたね。発言はサルベージしといたんで暇な人はどうぞ。
http://gyazo.com/b2541edec3b43b2289da86f9b94195d2

伊藤誠の様にゴミオタク共からクズだなんだと蔑まれた音無の判断は実に切実で、我々の心に迫る決断だったと言えるでしょう。まあそんな甘い考えは奏さんに一蹴されましたが(めでたしめでたし)



この記事を書いたあと一番の宝物の歌詞 http://j-lyric.net/artist/a053d48/l021472.html を見直してたら俺の泉こなたさんの想いをド直球で歌っててボロ泣きした。

それはともかくマスターアップおめでとうございます。世界の終わりも大好きです!

2015/04/28

イブニクル クリアして思ったこと

この作品は別に考察だの批評だのする作品ではないので、とりあえず思ったこと。小学生並みの感想を書いていきます。
まあ当たり前ですけどネタバレ注意です。あとレビューではないので、買うかどうか迷ってるオタクの判断基準にはしないでください。ええからウダウダ言ってんと黙って買え。
ほんとに小学生並みの感想です。


 イブニクル、クリアしました。大体35時間くらいですかね。世界地図も埋めて、あとは大怪獣シリーズ倒すぐらいですかね。ラスボス強かったけど戦ってて面白くはなかったです。


で、えぇーフィールド探索型RPG「イブニクル」ですが、まずはシナリオから言及しましょうかね。
このゲームは誰が悪いか、誰が良い人か、とか、そういうことを台詞で分かりやすく説明してくれるユーザーフレンドリーな作りになっておりますので、どなたでも楽しめる構造になっております。
人を選ばないという点で優れた作りなのは間違いないんですが、まあ流石にこうも懇切丁寧に強調されると鬱陶しくもなったりする。想像の余地とかプレイヤーに任せますとかアレは一体どうなったんだろうたいな疑問は存在しません。全てキャラクターが台詞で説明してくれます!!!!
誰が悪いキャラか、誰が良い人か簡単に理解できるよ!!!
すごい!!

いやぁ、素晴らしいですね。フレンドリーだね。
そういう点で、「イブニクル」に登場するキャラクターは主人公も含めて、どこまでもキャラクターです。 そこに「自分」は存在しません。
いやまあ当たり前やんキミ何言うてまんのんっていう方もおりますかもしれないですけど、要するに感情移入する先が無いということです。
プレイヤーはあくまでキャラを動かすプレイヤーであって、世界を歩き回るキャラではない。
そういう作りです。
まあいいんですけどね。それはそれで。ただ少し残念なのが、これだけクソデカい良い世界地図を
作ってくれたのに、その世界に「自分」が居ないというのは寂しいね。
主人公のアスタくんは一番プレイヤーからかけ離れたキャラなんじゃないでしょうか。そんな、普通そんな1日に何回もエッチ出来ませんし、性格もなんか訳分からん性格しとるし、どさくさに紛れて強姦しないしでねぇ。いわゆる俺TUEEEE系の主人公ですよねぇ。そこらへんの俺TUEEE系の主人公より俺TUEEEしてるんですけど、僕はアスタくんではないのに僕はTUEEEではなくキモオタなんですよね。 悲しくなる。


えー、つまり「イブニクル」は王道RPGではあるけども、ロールプレイングゲームではないということです。ロールプレイングを期待する人はelonaとかやることをオススメしますね。

後はまあ、キャラの口が悪い。嫌味っぽいキャラとかそういうのではなく、育ちが悪いように口が悪い。お姫様なのに!
どれだけ悪行を重ねた悪者であろうとも、そいつのことをヒロインがキチガイキチガイ連呼する様は気持ちのいいもんじゃないですね。
完全な勧善懲悪モノ(ダジャレ)っぽい雰囲気なのはまあ分かりますけど、悪い奴にはどんなことを言ってもいいみたいな雰囲気がちょっとついていけない。
そのくせ実は良い人でしたみたいなキャラには何かと扱いが優しいんですよ。僕には戦闘狂のアシュバルの方がよっぽどキ◯◯イに思えるけど。
要するに何が言いたいかというと、シナリオが作為的過ぎる。創造神に立ち向かう話なのに、シナリオに作為的なものを感じるのは良いことじゃないでしょう

ランス9とか、どらぺことか、最近のアリスソフトさんの作品に共通して言えることですけど、そいつが良い奴か悪い奴かを決めるのはプレイヤーであって、シナリオじゃない。

そこらへん作品中に多種多様な意見なり、キャラの好みなりがあればいいんだけど、イブニクルはそいつが悪い奴だと分かったら、全てのキャラがそいつを叩くように出来ていて、なんだこの同調圧力、気持ち悪っ! ってなる。
アスタや他のキャラが全員「良い子」で、そのように動くのは別にいいんだけど、その主張が絶対正しい意見であるという前提で話が進んでいくのは本当に気持ち悪いですね。
例えるなら小学校の「作者の気持ちを考えなさい」みたいな問題で、「答え」以外の可能性を許さない狭量さを感じる。安易に比喩を用いるべきではない。



で、フィールド探索型RPGのフィールド探索の部分ですが、TADAさんが描いたという世界地図(TADAさんが描いたんだっけ?) を元に作られた3Dマップは「最高」の一言ですね。
僕なんかエデンの左端の部分だけ描かれた、クソデカい未解明の地図を見ただけで絶頂射精しました。これだけでごはん3杯はいけます。
そんな世界を自由に歩き回れるんだからサイコー、と言いたいけれど、その中を歩くのは自分ではなく、正義の大英雄アスタリスクさんなので、思ったよりも感動はなかったですねー。
こんな世界を自分の分身に歩かせたいんですけどねー。イブニクルは「クソデカい一枚マップになってる世界を歩き回る」というコンセプトと、よーいちろーさんのキャラ、シナリオがマッチしてないように感じる。

「アホでエロエロ」という我々平凡な庶民の思考と、アスタリスクさんの崇高な意志と目的(自分がどんな目にあっても女の子を助けたい)というのがかけ離れてるんですよ。
ついていけないですよ。これが聖人君子のような性格の主人公や、ランスみたいに平凡な人間の考えとはかけ離れているキャラとかなら違和感なく受け入れられるんですけどね。ちょっとミスマッチが過ぎる。



戦闘部分に関しては、すごい試行錯誤して作られたんだなぁってのが分かりますね。かなり快適に遊べる。タブレットでのプレイも想定してるんだと思いますけど、直感的に動かせるなー、ってのはプレイしてて感じますね。ただランクエの時も言われてましたけど戦闘速度が遅い……。コンフィグの「速くする」をONにしてもまだまだ全然遅いです。CTRLキー押した場合の速さが常時出るモードは欲しいです。


キャラクター5人固定のRPGなのにスキルの有無で一応の個性が出せるようにもなってるのもいいんですが、やっぱり強いスキル、弱いスキル、便利なスキル不便なスキルとあるわけで、その格差がちょっと大きいかなと思いますね。もっと色々なスキルが均等に近い性能になって、好みでカスタマイズしていけるといいかなぁ。後半になると産廃になるスキルがちょっと多い。


音楽はいいですねぇ~~~。色々な町の雰囲気が出てて楽しいです。ただラスボスBGMはちょっと退屈だったかな。ボス戦ではもっとギュワギュワギュギギギィーン!!グガガガガッガーーンドゥーーン!!みたいな曲が聞きたかったです。



まあ不満をグチグチと垂れ流しましたけど、楽しくプレイ出来ました。それだけに惜しい点が目立ちましたねー。バカでエロエロで楽しいゲームなのか設定をメチャメチャに垂れ流すゲームなのかムナクソさんが悪くなる陵辱シーンアホみたいな量見せつけてくるゲームなのかイマイチよく分かんなかったです。

デザイナーズノートとか読んでるとどういう考えでこのゲームが作られたのか分かって面白いんですけどね。
それがあんまり反映されてないようにも感じますね。


「主人公はエロです、溢れるリビドーの塊です。
強敵と戦っている内に正義の心に目覚めたり……しません」

「少年が成長して世界を救う、変なひねりは無しで続編とかに続くとかのひっぱりも無しで
クリアしたら大団円、綺麗に終わる物」


えぇ……。ちょっと、僕がプレイしたゲームの内容と違うんですけど……。


























・そうそう・・メインのヒロインに眼鏡がいません。


オイゴラァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!