朝から支度をし、さあ行くぞと意気込んだその時あるニュースが飛び込んできた。
[任天堂HP] 「代表取締役社長の逝去および異動に関するお知らせ(訃報)」を掲載しました。http://t.co/3u7PhVts1L
— 任天堂株式会社 (@Nintendo) 2015, 7月 12
何もする気がなくなった。
岩田さんは僕が大尊敬する人だった。開発者として、経営者として、キャラクターとして、そして人間として、素晴らしい人物だった。
岩田さんが居なければ今の任天堂やHAL研究所はありえないし、現状のゲーム業界もなかった。
現在、毎月毎月おびただしい数の、クオリティの高いソフトが発売され続けユーザーに供給されているという現実はなかった。
私達が当たり前のように呼吸しているゲームという酸素を産みだした方でした。本当に惜しいし、悔しい。
何に怒るでもないし怒れるものでもないけど、何かを許せないという感情ですよ。ただただ信じられないし、泣けば泣くほど事実を認めてしまった気になってしまって余計に腹立たしい。
琵琶湖一周なんかとても出来る気分じゃない。
そうやって何もせずに項垂れていて、唐突に思った。
「そうだ、園部のこむぎ山へ行こう」
別に気が狂ったわけではない。
説明しよう! 園部とは京都西北部に存在する町で、かの有名な宮本茂氏の生まれ故郷なのだ!
氏は2001年のインタビュー(http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/tanba/08.html)でこう答えていた。
ゲーム制作に携わるようになって、どんな角度でマリオがこけたりするか、どうやって跳んだりはねたりするか。アリのようなピクミンがどのように行動するかは、自分自身が身をもって体験したこむぎ山での思い出が原点です。
このインタビューを読んでから、私は漠然と「この、こむぎ山に行きたい」と考えていた。本当に漠然とね。なんとなく行けたらいいなって。そして、今回の岩田さんの訃報。
時が来たと思った。
クマチャッピー号を飛ばして園部へ向かう。大津まではバイクで飛んだが、そこから京都駅~園部までは電車で行くことにした。
その方がなんとなく良いと思った。
京都駅から園部までは14駅、べらぼうに時間がかかる。言い忘れていたが園部はド田舎なのだ。
その間私は岩田さんがこれまで受けてきたインタビューや社長が訊くを読み直していたんですが、やっぱり再確認ですよね。
こんなに素晴らしい人がいたんだなって。こんなにもゲームのことを考えていて、ハードゲーマーのことも”分かって”いる方だった。何せ自身が自他ともに認める筋金入りのプログラム中毒者なのだ。
だけど、コアにゲームが好きな人の感情を分かりつつも、ゲームに造形の薄い人たちにどうすればゲームが楽しんでもらえるのか? ということを試行錯誤し続けてた。何度でも繰り返すが本当に素晴らしい方だ。
やがてその苦心は実を結びDS、Wiiの歴史的ヒットへと繋がるわけですね。
ちなみに電車で読んだ記事はこんな感じ。一部ではあるけど
http://www.1101.com/nintendo/wiiu_talk/2012-12-20.html
http://www.nintendo.co.jp/ds/interview/axbj/vol1/index.html
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20121009/244633/
あとTwitterなんかでも続々と流れてくる生前の偉業やエピソードを楽しく読んだりしてた。
山梨のハル研でラストバトルを二人で詰めてた。ギーグの攻撃中画面が緑に点滅して異様な雰囲気に一役買っていたが、それは仕様書にない不具合。このまま残して欲しいという自分に岩田さんは、不具合だから調べて治す、そしてその後同じに見える演出を実装する、と言ってその通りにした。寝てないのにね
— 三浦明彦 / Akihiko Miura (@miuraani) 2015, 7月 13
この話は初めて聞いた。本当に凄い人だったんだなぁ。
そうこうしていると園部についた。途中事故もあって50分くらいかかったけど、そんなことも感じないぐらい一瞬だった。
岩田さんはタイピングが速かった。漫画を読むのも速かった。メシも速かったし、キャンデーなんかも舐めずにバリバリ速かった。岩田さんが乗ると新幹線もいつもより速かったんだと思う。ワープしてるんじゃないかと疑ったこともあったな。
— 戸田昭吾 (とだあきひと) (@todabu) 2015, 7月 14
こういう人の言葉だからこそ時間が一瞬で過ぎていったんだろう。
さあそうやって着いた園部ですがまあド田舎でしたね。
見たい人はグーグルストリートビューで見ればいいんでね。
そこからしばらく歩く。
文字にすれば「しばらく歩く」の一言で済むけど、実際は20分近く山沿いの急勾配を大日射に照らされながらの行軍でした。いや~キツイっす(素)
ようやく辿り着いた園部公園がコレ。城は城下町の名残で確か今は中学校だかになってたはず。すげぇよね城が学校になってるって。
この奥にこむぎ山がある。
公園に入ってからは全力ではしゃぎました。
そもそも今回の園部訪問の目的は「子供のようにはしゃいで遊んで、宮本さんの幼少期を追体験する」というものだからだ。
実際に追体験出来るのかどうか、したところで何の意味があるのかとかそういう考えは一切無視してはしゃぎまくった。公園を全力疾走してこむぎ山を駆け上った。

後はまあ、山の中に神秘的な神社があって、そこでカミサマ的なアレに話を聞いてもらったりした。こんなん人に話すようなことじゃないけど、少し楽になった気はしましたね。
そこでね、こむぎ山を走り回ってて気付くんですよ。
「あっ、これって任天堂だ」って。
正しく言えば「優れたゲーム」だなって、思いましたね。
まず動いてるだけで楽しい! これはゲームの一番根本の部分にある快楽装置だと思う。マリオとかそうだけど、クリボー踏めたら楽しいし、ステージクリア出来れば嬉しいんだけど、それより一番手前に「マリオが動くだけで面白い!」って感情があるんですよね。ゲームを進める内に忘れてしまいがちな思いだけど。そういうのを再認識した。
後は「道の作り方」
これは本当に上手いと感心した。
これはその説明をするために撮った写真ですけど、頂上に行くために色々なルートがあるんですね。
舗装された勾配の少ない坂を渡ってもいい、急な階段で登ってもいい、そして↑の写真のように、道のないところを駆け抜けて登ってもいい。
ここらへんが本当によく出来ていて、道のないとこでも「動ける、走れる」ようになってるんですよね。
普通道を作ったらそれ以外の場所は整備しないと思うんですけど、驚くことにこの山は全てが道になっている。
お婆ちゃんお爺ちゃんは坂を歩けばいいし、若者は階段を登ればいい。子供は何もない傾斜を駆け上っていい。一つの山というコンテンツに対して様々なアプローチの方法があって、そのどれもが楽しい。
これは……だから、任天堂の理念そのものであり、任天堂が作ってきたゲーム自身ですよね。
この山だけじゃない。園部という町全体が素晴らしい町だった。
さっき言ったように山は子供が遊びやすく、かといってヌルく作るわけでもなく、「必要最低限の整備を全体に施し万人が思い思いの楽しみ方が出来るようにする」という施政がとられている。
園部公園も美しく、また立派な建物が建ち並ぶ美しい公園だった。
園部についてちょっと語ろう。まず最初に言っておくとド田舎です。駅近辺にスーパー1つないし、延々と大学と田んぼと森林が続くだけの町。
けど、田舎なんだけど、下品で汚いよくある田舎じゃなくて、建物や町並みが上品で気品に溢れている。大学があるから田んぼの真ん中でも活気がある。
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
本当に、アニメや漫画に出てくるような「美し田舎」と、「若者による活気のある町並み」が両立していた。奇跡の町だと思う。
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
田舎といえば「老人!放置された田んぼ!古い道路と汚い建物!」なんですが、園部は若者が多いし田んぼや森林は手入れされてるし道路は綺麗だし古い建物も新しい建物も一体となって町を象り調和を成している。こんな町があっていいのか
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
マジで園部良い町でしたよ。スーパーやゲームショップが少ないから買い物には不便するだろうけど、穏やかに過ごすには最適の土地なんじゃないだろうか。
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
田舎なのに大学があるから電車の本数も多いし、京都には30分あれば着く。学校も不自由なく揃っているし、こむぎ山や園部公園のような「子供が遊べる場所」が多数あるので子育てにも良いだろう。町の中は子どもたちのはしゃぎ声がこだまし、住民の皆さんがそれを温かい目で見守っていた。
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
園部に生まれていたら純粋に田舎を好きになれただろうなぁ。
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
スナックにもどこか気品がある http://t.co/4fBzfJfXhg pic.twitter.com/vOEn3Dy78b
— レトルトテイまー (@callkanon) 2015, 7月 13
園部は良い町でした。また来たい。何度でも園部に訪れたいなと。
そのたびにこむぎ山ではしゃいで、町でゆっくり休んで、園部という町をもっと愛せるようになれば良いと思う。
ここまでがどうでもいい話。
ここからが更にどうでもいい話。
僕はカミサマにお話聞いてもらう代金を払うことにしてるんですね。俗に言う賽銭というやつで。
いつもそれは1円とかなんですけど、流石に今日ばかりはどうすっかなぁ、それじゃダメかなぁと思って、1円と5円どちらを出すかで悩んだんです。
ナンバーワンの1円か。
ご縁がありますようにの5円か。
僕が選んだのは10円でした。何故10円を選んだのかというと、皆が俺は2だ! 俺は1だ! と争っている中で、僕は10だよ。と言える人間になりたいと思ったからです。
これって任天堂の理念と一致していて、マシンパフォーマンス争いや価格競争の先に待っているのは緩やかな市場の消滅しか無いんですね。
だからこそ任天堂は価値を埋没させないために、「2画面」「wiiリモコン」「裸眼立体視」「ゲームパッド」という独自の強みを次々と打ち出していった。
つまり任天堂は1か2か、の争いをしている市場に10で殴りこみをかけることで栄光を手にしたのだ。
しかし数字が多ければ良いというものではない、ハイパフォーマンス化だけに囚われればハードの価格が際限なく上昇し、あまりゲームに馴染みのないライトユーザー離れが進む事態となるだろう。100円や500円、1000札で参入すればいいというものではないのだ。
「枯れた技術の水平思考」ではないが、ある種挑戦と保守。というバランス感覚がハードには重要なのだろう。岩田さん、及び任天堂はそのバランス感覚に非常に長けていたからこそ、新しいことに次々と挑戦し新規プレイヤーを開拓つつも、従来のユーザーの心も鷲掴みにするという離れ業が出来たのでしょう。
私もそんな任天堂のように、1番か2番かなどという些事に囚われず、独自の長所を貫ける人間になりたい。そういう思いを込めて10円玉を賽銭に入れました。
嘘です何も考えてません。
更に更にどうでもいい話
僕はご冥福をお祈りしますとかいう言葉が嫌いで、もっと言えばこの言葉を使ってる連中が嫌いだ。なんだよご冥福って。お前自分の思いでその言葉を考えたのかよ。
周りが言ってるから自分も言ってるだけじゃねぇかよ。そういう安易さが目に透ける。
それから今回の件を気にまとめブログがボロクソに叩かれてるけど、それはもうどうでもいいかなって思う。「人の死をキッカケに何か悪い者を叩こうとするのは不粋だ」という旨のツイートを見てから、なんかそうだなって思った。
それから生前岩田さんと深い親交があって、親友とも言える中のほぼ日刊イトイ新聞の見出しなんだけどそれがコレ
なにが「コンテンツ」だよ。人間をなんだと思ってるんだ。
まあそれはどうでもいい。そもそも僕がなんでこんな小さいことに噛み付いてるのかって話になると、僕は糸井重里とかいう野郎が大ッ嫌いなんですよね。特に面白くもないくせにでしゃばってきては偉そうなこと言って(聞いて)悦に浸ってる。ゲームなんざ大して知らないのに偉そうに語ってくる。それ以外の分野にしたって専門外の領域に平気で「おれ知ってますけど?」みたいな面で解説しだす。本当に不愉快ですね。
まあそれとは関係なしにあの生理的に無理な顔面と何でもかんでも比喩に結びつけようとする大衆サマへのサービス根性とキッショイキッショイバカポエムが大嫌い。
人間として一番無理な位置におる人種やと思う。糸井里里とかいうアホは。
そもそもこんな奴の言うこと聞いて「へぇ~」みたいなことを少しでも思う奴は自分の視野の狭さに気づいた方がいい。コイツの話は岡田斗司夫と同じだよ。
人があんまり知ってないニッチな知識を全く関係のない話題にサモ当然の前提知識であるかのように持ち出してきて、人を感心させてから脱線しまくった正論染みた持論を語る。
すると議論の対象になってるものとは何も関係のない話をしているのに、「この人の言ってることは深くて正しい」みたいな錯覚に陥る。
もう本当に不愉快でしかないね。コイツもそれに釣られる奴らも。そもそも~(ここから人格否定が1時間ほど続く)
岩田さんと深く親交があった、いわば親友であり戦友ということなので、まあ深くは批判しませんけどね。いつか岡田斗司夫みたいに化けの皮が剥がれる時は来るので一々僕が言う必要ないわけですよ。
こんだけべらべら語って何が言いたかったのかというと、「コンテンツ」という紹介の仕方は目障りだということですね。
で、僕はこのブログを書くために糸井重里のTwitter、あるいはほぼ日の追悼ページを見てるんですね。
http://www.1101.com/readers/2015-07-14.html
そうしたらこういうね、自分語りが延々と続くわけですね。このポエム自分語りを読んでどう感じるのかは人次第だと思うけど、少なくとも僕はこいつらから人の死を自分語りポエムの機会として消化しようとするような薄汚い根性を感じてしまう。
こいつらを人の死を利用して自分語りを始める自己陶酔が大好きなオシャレさんと思うわけで、糸井重里が気に食わない事も含めそういうことに腹を立ててるわけです。
人が死ねばポエムが書けるぞ